ものすごく沢山のことを考えさせられ、あまりにコンテクスチャルな内容なのでブログにあげるのは憚られたが、大量に考えてこぼれ落ちたところを、ほんのちょっとだけ。
ものすごく恥ずかしながら、女川町の被害がこんなに甚大なものとは知らなかった。
石巻から女川町へ向かう道路は美しい。海辺も山並みも本当に美しい。地元の人がこの土地を愛する気持ちがよく伝わる。
しかし、そこを抜けた光景は信じ難いものであった。石巻の被害もすごかったが、こちらも絶句を強いられるものであった。
人口1万人弱の女川町の死者は1000人を超えるものと推測されている。最大の被害をこうむった石巻市は宮城県第二の都市で人口16万人。その被害者は5000人以上と推測される。両者のインパクトの「意味」は異なるが、女川の被害のなんと大きなことであったことか。
なぜ、僕が女川の被害を知らなかったのか。地震当日テレビ中継されなかったからか、行政そのものが「流れて」しまって被害の実態がわかるのに時間がかかったからか、女川の被害をあまり喧伝すると原発問題がややこしくなるせいか、はたまた単に僕が無知なだけか、、、
医療機関や避難所の医療は充実しているので、本日は、避難所に行かないことを選び自宅にいる人たちの実態調査と健康相談に出かけた。
自宅にとどまる理由は様々である。家族が亡くなって、「今動く気になれない」と仏壇と位牌の前で語る方もいれば、「家族同様」の犬をたくさん飼っている方もいた(津波の時はまっさきに犬を助けたそうだ)。確かに避難所には行きづらいだろう。そういえば、ペットなんて助ける必要はないという評論があったが、それはいかに知性に優れていても、人間の機微を理解しない見解であった。こういう人は「評論家」にはなれても血肉の通った現場の「担当者」には決してなってはならないのだ。
彼らは家族がいっしょに結束して住んでいるとき、たとえそこに上下水道がなく、電気がなく、テレビがなく、、、であったも自宅に住むことを敢えて選択した人たちである。彼らは充実しているように見えた。散々な目に遭いながらもその眼には光があり、十全に生きているように見えた。もしかしたら、「生きている」とはなにかを今や最も理解している人なのかもしれない。少なくとも、僕には彼らが「かわいそうな」被災者には見えなかった。
彼らには決意(デターミネーション)がある。リスクと不自由を敢えて甘受し、自宅に住むことに価値を見いだした人である。リスクを甘受して決意を固めた人に、僕ら医療者はどのような言葉をかけるべきなのだろうか。少なくとも、平坦で定型的な「リスクを減らすためのノウハウ」や「健康に生きるための方法」を開陳、というわけにはいかないだろう。あえてリスクテイカーになると決意した彼らに対して、それはたちの悪いジョーク以外の何者でもないのだから。僕らは、決意とともに生きる彼らの生きる方向に寄り添った何かの言葉を探さなければならないのではないか。
外部からきたアウトサイダーの僕には女川の街は壊滅状態に見えた。しかし、街は復興する。何年計画で街を復興し、がれきの残る海をきれいにして、彼らの主要産業である漁業を取り戻すという。今は職を失っている漁業従事者も漁業に戻るという。原発について、僕はある保健師に質問した。彼らは、according to her,,,原発も込みにして地元を愛し、地元とともに生きるという。彼らはdetermined peopleなのだ。僕らアウトサイダーがそれをどうのこうの言う資格は、もちろんない。
僕は、今回の震災のあと何度も何度も、「安全な地域にいる僕らが被災者に、こういうふうに生きろと規定する上位者になってはならない」という意味のメッセージを込めている。僕らが被災しなかったのはまぐれである。石巻も女川も被害はでこぼこで、これでもかという津波が直撃した地域のすぐわきには美しい自然と街がある。被害に遭った人は、どうして私だけがと思うかもしれないし、その問いに対するよい答えは僕にはない。被害に遭わなかった人も、自分だけよい目にあった負い目があってそれはそれで負担である。罪の意識すら、僕は感じる。いずれにしても、両者の違いは偶然である。
もちろん、今回の広範な被災に関しては、僕らは自分たちの見聞きしたものを過度に一般化してはいけないと思う。それは事態のほんの一側面に過ぎないだろう。いろいろな人たちがいろいろな感じ方、考え方をしている。そのことには意識的でなければいけないだろう。だから、僕が見聞きしたものでない光景を、もちろん否定するものではない。僕は「現場」を全然知らない。
さて、5月になって、被災地の復興も地元中心にシフトしていきつつあるように思う。地元が中心になり、(例えば)医療の姿を形作っていく。僕らが考えるべきはそれをどうサポートするかである。物品や人を送って何かを提供するだけの時間は過ぎているように見える。
それにしても、、、なんと早い復興だろう。仙台空港はもう機能している。道路も(だいたい)開通している。行政機能が全部「流れて」しまった女川でも復興計画が立てられている。まだ2ヶ月しか経っていないのにこのスピードは驚異的である。
自衛隊があちこちで、あれやこれやの仕事をしている。交通整理をし、がれきを片づけ、お風呂を沸かしている。すれ違うと必ず挨拶してくる。今回の地震くらい自衛隊を頼もしく思ったことはあまりないのでないか(少なくとも僕はそう思った)。自衛隊だけではない。電力会社のひとが一所懸命電線をつないでいる。水道会社が上下水道をつないでいる。土方のニーちゃんがあれこれの建物を建てている。街役場の人たちもたくさんの調整作業に従事している。ボランティアが物品供給やら音楽の提供やら、きめの細かいサービスを提供している。多種多様な人たちが、自分たちのできる範囲で多種多様な貢献をしている。
医者もナースも薬剤師もがんばっている。避難所や住宅では保健師が大いに活躍している。石巻のコーディネーターは、僕ら全国から集まった人たちの業務調整に全力を尽くしている。
彼らは疲労している。僕ら数日しかここにいないものとは違い、恒常的に、息の長い業務をここで行っているからである。彼らは本当に疲れている。
日々状況が変動している。プレイヤーは多種多様でその調整は困難である。情報伝達にはあれこれの障害がある。そのため、マイナーエラーも起きる。調整の失敗、リダンダンシー、ロジスティックス上の瑕疵が生じる。
しかし、我々のようなワンポイントリリーフのプレイヤー以外は、地元のプレイヤーたちは綿のように疲れている。
疲れているとき、大切なのは相手に対する気遣いである。寛容さである。元気で体力があり、声の大きな「外からやってきた」リリーフピッチャーが、ああしろ、こうしろ、ここがけしからん、とがなりたててはいけない。もちろん、外にいる「評論家」がこのようなことをがなりたてるのはもってのほかである(と僕は切に思う)。
もちろん、改善は必要であろう。議論も大事である。しかし、疲れているときには、相手に対する気遣いが必要なときには、それにふさわしい語り方がある。それはがなり立てるやり方ではない。ウソだと思ったら疲労困ぱいの時、それをやられてみた立場になってみればよい。
「ご相談なのですが、もしよかったら、、、というのはいかがでしょう」
という語り口をする選択肢を僕らは持っている。
「ここがだめなんだよ。どうしてこうしないの?」
と言わなくてもメッセージは伝わるはずである。
同じことは中央の政治についても言える。マスメディアもスモールメディアも居丈高ながなり立てる口調が増えている。現場からの距離が離れれば離れるほど怒鳴り声はでかくなる(病院ではこれをカリフォルニアの親戚と呼ぶ)。しかし、僕の目には現場の復興は迅速で、多くの問題は、、、その多大な困難にもかかわらず、、、かなりうまくできていると思う。少なくとも、上手くできている部分はたくさんある。そのような部分があまり語られなくなっている。
もちろん、スモールエラーはあろう。瑕疵だってある。これだけ複雑で甚大な大問題が起きれば、それくらい絶対に起きる。起きないと考えるほうがどうかしている。そういうとき、スモールエラーをあげつらって、揚げ足とって、がなりたてることが全体のパフォーマンスを上げるのに寄与する可能性はどのくらいあるか?むしろ下げると考えるのが自然であろう。
日本は過去にもたくさんの災厄に悩んだが、その度に多種多様なプレイヤーが折り重なって協力して、コミュニティーの力でこれを克服してきた。今も克服しつつある。
日本は、率直に言って優秀なリーダーが生まれにくい国である。たぶんそれは構造的な理由で、そうである。現行の総理大臣が「たまたま」リーダーとしていまひとつなわけではない(その証拠は、それ以前の総理数代を振り返ってみれば、あるいは阪神の震災時の総理を鑑みればすぐに分かる)。
日本は、優秀なリーダーがいなくてもなんとかなるように構造的にしつけられた国なのかもしれない。もちろん、このままではよいとは思わないけれど、しかし、構造的に優秀なリーダーを作れない構造の我らが日本で「リーダーのあれがよくない、これがけしからん」とがなりたて、こきおろし、辞めさせて新しいリーダーにすげ替えるエネルギーは、どこか別なところに振りまいたほうがよっぽど生産的なんじゃないだろうか?
やはりそうですよね。女川に限らず甚大な被害です。もの凄いです。頑張れとか つながっている とかよくテレビに流れます。別に非難するつもりはないですが、是非、一度、沿岸部被災地に行ってからそう述べてください、と言いたくなるんですね。急性期を過ぎて、今は慢性期です。医療から公衆衛生という生活の段階です。これからが復興への正念場です。全国の方々にずっと関心を持って貰えればと思います。
投稿情報: MrBlue54 | 2011/05/16 09:31
暖かい心はわかります。
被災地の状況は遠いものでわかりません。
津波が来ることはわかっていました。私はスマトラ津波を見たとき恐怖の鳥肌が立ちました。
津波を堤防で防ごうなど どこのバカがかんがえたのでしょうか。
津波は 高さ以上に 波長の長さこそが問題と指摘する人はほとんどいません。私の知っている範囲で津波の波長を指摘したのは 広瀬隆と宮台慎司しか知りません。
産学協同によりフリーな研究が著しく困難なこの国で、また巨大企業の広告宣伝費によりマスコミが企業のコントロール下にあると見えるこの国で、巨大な権力を持つ人々(政治や経済指導者、マスコミ幹部)への批判は少なすぎることはあっても 多すぎることはないと思います。
投稿情報: Misaki304 | 2011/05/16 07:00
はじめまして。
京都府で保健師をしている者です。
岩田先生のブログは勉強になるので、ちょくちょく拝見させていただいています。
今回、被災地支援のことをテーマに書かれてあり、保健師のことにも触れておられたので、読んでいて嬉しくなりコメントさせていただきました。
私も4月の中旬に6日間、被災地支援として福島県に派遣で行き、主に避難所支援と二次避難先へのホテル・旅館での健康調査に携わっておりました。
私自身、保健師の経験年数も浅く、初めての被災地支援で正直「自分自身に何ができるのか」という保健師活動への気持ちと、福島県への派遣と聞いて、正直なところ放射線の影響がどうなのかという不安が強く、派遣前に自分なりに勉強していました。
その時に、岩田先生のブログも参考にさせていただいたのですが、特に放射線のことと、津波の時に気をつけるべき感染症についてはとても為になりました。
「わからない」ことからくる不安が解消され、気をつけるに越したことはないけれど、自分の中で納得して派遣支援に行くことができました。本当に感謝しているので、お礼を伝えたくて今回コメントをさせていただきました!
実際に被災者の方の生の声を聞き、考えさせられることもたくさんありました。また、先生が指摘されているように、現地の方の疲労の蓄積について、いつか倒れられるのではないかとと外部の者からみても心配になることもありました。派遣支援の目的には「現地の保健師の支援をするために」というのもあり、その心づもりで向かいましたが、実際はそんなに簡単にできることではないことを痛感しました。
1日も早い復興を願うとともに、自分の仕事と関連づけながら「自分の地域で起こったら」という視点で、経過を見ていきたいと思っています。
ありがとうございました。
投稿情報: きょんきょん | 2011/05/15 22:35