この内需縮小、就職難の時代において、需要に全く供給が追いついていないのが医療・介護である。程度の差こそあるが、医師はどこも人手不足で、余って余って仕様がない、、、、というところはあまりない。
そんななかで、産休やら育休をしようとすると周囲から容赦のない罵声が飛ぶ医局もある。「女医はどうせやめちゃうし、、、、」という女医蔑視の格好の根拠としても用いられる。
たいていの医師は程度の差こそあれ、マゾヒスティックな人が多い。多忙自慢、寝不足自慢、病院に何時間いる自慢、今日の外来でお昼ご飯をどう食べ損なったか自慢を行う医師はオムニプレゼントである。自分が他人よりいかに不遇をかこっているかが、その人にとっての栄誉なのである。
とはいえ、ぶっちぎりでその人だけが忙しいのは困る。そこにはルサンチマンが生じてしまう。だから、周りの人間も自分よりちょっと下がる程度にやはり忙しいのが望ましい。これはサディズムではない。自分が自ら虐めることを望んでいるわけではないのである。そうではなく、他者のマゾヒズムの共有なのである。他人に対しても奇妙で遠隔操作的なマゾヒズムが働くのである。俺が一番忙しいという優越感は保持しなければならないが、かといって俺ばかり忙しいのはムカツクのだ。
面倒くさい人ですって?本当ですね。
「産休だあ?ふざけんな、やめてしまえ」と言っているのは、ゲーム理論的にナッシュ均衡が成立している範囲内の話である(でたらめなので、流して聞いてくださいね)。パートタイムを希望したり、当直解除を希望したり、妊娠した医師をどんどん排除し、「俺ちょっと手前」までマゾヒスティックに歯を食いしばる人間だけを構成員にしていると、いつしか均衡が崩れ、がらがらと音を立てるように人は去っていき、そこには誰もいなくなってしまう。
他者が楽をすることに寛容なオフィスであれば、人は参入しやすい。人が集まれば余剰ができる。余剰ができれば、パートタイムも育児休暇も問題ではない。あとは、「俺よりちょっと手前でいろ」という手前勝手な「他者に対するマゾヒズム」をなくすだけである。
健全なマゾヒズムとは(そんなものがあるとして)、他者がどうあってもそれとは自律したかたちで現存するマゾヒズムである。他人を巻き込んでみんな悲惨な状態自慢をしてはいけない。マゾヒズムごっこをやるなら(僕はやりたくないけど)、自律したかたちでやるのが大人の態度だと僕は思う。忙しくしていたい人もそうでない人も、自律的に共存できる社会こそが、大人の成熟した社会なのだと僕は思う。
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