時計の針を戻せたら、とこれまでの人生で何度となく悔やんできた。今ほど「あの時に戻れたら」という思いが強くなったことはない。
あれから一週間になる。あの日、午前中は週 1の総合診療外来で、アルコール性肝炎疑いの患者や下部消化管出血の患者を診ていてあれやこれやで忙しい日だった。「今日はとんでもない日だな」と思っていた。甘い我が身とはいえ、これほどまでに甘くて見当違いな見通しはなかった。
あの時に戻れたら、と思う。時計の針を戻せたら、と思う。しかし過去を振り返ってもあの時には戻れない。僕らは未来に向かってしか、動けない。
30年ほど前、アメリカでエイズが勃発したとき「これは天罰である」と言った人がいた。そういう人は決まって自分はエイズではない人である。自分だけは関係ないアウトサイダーだけが、このような無慈悲な言葉を口にできる。天はそもそも、慈悲を与えるものではないだろうか。
「天罰」を口にした人は、今ごろ「時計の針を戻せたら」と悔やんでいるだろうか。それとも、「この程度の口災、どうということはない」と楽観しているだろうか。
それが決まるのは(たぶん)来月。それを決めるのは、あなたたち、一人一人
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