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2011/02/08

コメント

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MLは残念な流れでしたが、先生の言わんとすることは十分わかりました。
studyのデザインをRCTにすることが、Do no harmの原則に反する危険は実際あると思います。

すみません、前の投稿の最後の2行は消し忘れです。不完全なものを送信してしまい、たいへん申し訳ありません。

昨日も投稿したものです。昨日の英文の意味は、オープンラベルの方がより直接的に情報を伝えられるだけ倫理的かもしれない、ということでしょうか。

昨日1日考えていたんですが、この臨床試験がはらんでいる問題点は、「
ある程度HIV感染者が発生しないと、試験結果がでない」ことなのかなあと僕は思いました。そのために、研究者たちは、無意識的には、「今みている人が100%HIV感染から逃れてほしい」と思いきれない(かもしれない)。そこには倫理的な問題があるような気もします。

ただ、論文を読むと、研究者たちも、この臨床試験が倫理的に「微妙」であることを認識していなくはないような気もします。「カウンセリングはちゃんとしてる」だとか、「あっちこっちで倫理委員会にかけた」とかいう文言にそれを感じました。

ただ、研究者たちはこの臨床試験が倫理的に「微妙」であることに、全く無自覚

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