スノビッシュな本だが、まあワインの本は大なり小なりスノビッシュなので、そこが鼻につかなければ興味深く読める。文章はとても読みやすく、すらすらと読める。
日本のロマネコンティがなぜまずいのか、の説明は実はほとんどどうでもよく(偽物だから)、自身のエスタブリッシュメントの歴史とプレスティージの高いワインの紹介本である。今日日、新書のタイトルはほとんどどうでもよいのである。シャトー・ムートン・ロスチャイルドという呼称がクリスティーズ所属の矜恃を感じさせる。
それにしても、パーカー・ポイントとワインの値段でワインを評価することをぼくはあまり好まない。ワインのよさ(悪さ)は多様であり、それを一意的、一直点的なポイント(あるいは値段)に換言することを好まないからである。シャトー・ムートン・ロートシルトとアルマヴィーヴァの違いは、優劣の違いというより好みの違いではなかろうか、たぶん(ほとんど飲んだことないのに、何を偉そうに、、、と自分でも思うけど)。
パーカー・ポイントみたいな点数によるスコアリングはカリカチュアなアメリカン・マインドを想起させる。またそのアメリカン・マインドのエピゴーネンたるへんてこなジャパニーズ・マインドも想起させる(そして、その象徴が奇妙なことにフランスのミシュランガイドである)。もちろん、ここで「アメリカ人にもいろいろいるのだから、そんな画一的な評価はおかしい」と眉間に青筋立てて怒られても困る。あくまでもカリカチュアなアメリカンという表現は、そういうものだからだ。バナナの皮で足を滑らせるのが「漫画的な」表現であるのと同じである。たとえ、そんな漫画が実際にはひとつも存在しなくても、である。パーカー・ポイントやワインの値段を意識しながらワインを買うアメリカ人がたとえ皆無だとしても(実際にはたくさんいると思うけど)、それはカリカチュアで象徴的なアメリカン・マインドである。こういうネタが理解できていないときに、「アメリカ人とは」とか「日本人とは」みたいな議論をしても、時間と精神の無駄遣いだ。
日本のロマネコンティがなぜまずいのか、の説明は実はほとんどどうでもよく(偽物だから)、自身のエスタブリッシュメントの歴史とプレスティージの高いワインの紹介本である。今日日、新書のタイトルはほとんどどうでもよいのである。シャトー・ムートン・ロスチャイルドという呼称がクリスティーズ所属の矜恃を感じさせる。
それにしても、パーカー・ポイントとワインの値段でワインを評価することをぼくはあまり好まない。ワインのよさ(悪さ)は多様であり、それを一意的、一直点的なポイント(あるいは値段)に換言することを好まないからである。シャトー・ムートン・ロートシルトとアルマヴィーヴァの違いは、優劣の違いというより好みの違いではなかろうか、たぶん(ほとんど飲んだことないのに、何を偉そうに、、、と自分でも思うけど)。
パーカー・ポイントみたいな点数によるスコアリングはカリカチュアなアメリカン・マインドを想起させる。またそのアメリカン・マインドのエピゴーネンたるへんてこなジャパニーズ・マインドも想起させる(そして、その象徴が奇妙なことにフランスのミシュランガイドである)。もちろん、ここで「アメリカ人にもいろいろいるのだから、そんな画一的な評価はおかしい」と眉間に青筋立てて怒られても困る。あくまでもカリカチュアなアメリカンという表現は、そういうものだからだ。バナナの皮で足を滑らせるのが「漫画的な」表現であるのと同じである。たとえ、そんな漫画が実際にはひとつも存在しなくても、である。パーカー・ポイントやワインの値段を意識しながらワインを買うアメリカ人がたとえ皆無だとしても(実際にはたくさんいると思うけど)、それはカリカチュアで象徴的なアメリカン・マインドである。こういうネタが理解できていないときに、「アメリカ人とは」とか「日本人とは」みたいな議論をしても、時間と精神の無駄遣いだ。
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