ペースを変えるのはとても大切だ。同じことばかりをやっていると考えやセンスが硬直化してしまう。走っていれば止まる。まっすぐいっていれば、曲がってみる。下を見てみる。上を見てみる。変化が思い込みやしがみつき、我執に気付かせてくれる。
コンピューターの調子がずっと悪かったので思い切ってあれやこれやを一気に設定しなおした。なかなか大変だったが、パフォーマンスはものすごくよくなった。このとき、かわせみを使ってみた。ずっとATOKを使っていたのだが、設定変更で医学辞書が使えなくなったのをきっかけに「ちょっと使って見るか」と試してみた。前にも試用版を使ったことがあったのだが、そのときは変換があまりよくないなあと思っていたのですぐにATOKに戻った。ところがこれがとても使いやすい。ATOKはとても重く感じてしまう。文章書きがとても楽になったので、さらっと乗り換えることにした。
change of paceは大切だ。
昨日は三重に行って山田赤十字病院でお話し。いろいろなところから研修医がきてくださる。こういう地方の研修医って、なんというか、情報に飢えているというか、潤沢な環境で勉強できない渇望感が感じられてとてもよいです。一所懸命勉強している感じが伝わってくる。僕も田舎の学生だったので(そしてインターネットが不便だった当時、それは決定的で徹底的な渇望だった)、気持ちはよくわかる。
今日は東京で会議なので今新幹線。明日は奈良。ふう。
朝日新聞と青少年条例関係でいろいろ調べていて、普段あまり読まないtwitterをたくさん読む。個人的にはtwitterは苦手だが、内田さんや茂木さんのtwitterを読むのは楽しい。ただ、ここのところの朝日/青少年関係のツイートをたくさん読んですっかり食傷してしまった。なんというか、品位をかいた罵倒が多くて、一昔前のMLや掲示板みたいだ。とくに匿名のコメントがひどい。売り言葉に買い言葉で反応する実名のコメントもそれに引っ張られて品が落ちてくる。ああいうところから邪悪な空気、邪悪なオーラが立ち上る。それは伝染する。実名で、面と向かってでは絶対に言えないような暴言ががんがんでてくる。こっちに感染しないよう、暴言コメント集を遮断し、深呼吸してからもっとましなものを読むことにした。ガルシア・マルケスの「百年の孤独」。これで精神がすこしましになった。ここでもchange of paceだ。
僕も厳しいことを書くが、常に当人に面と向かっても言えるかどうか、は基準にしている。さきの「捏造」回答コメントも、朝日の記者さんの前でも面と向かって言うことはもちろん可能だ(実際、朝日の社員には言ってるし)。
ただ、こうとも思う。「捏造」うんぬんは本問題においては瑣末な部分だ。本質的な問題は、あの報道があのような文脈で一面を飾ったことで、情報ソースが実在するか否かは本質的な問題ではない。僕も局地戦に勝つことにこだわりすぎて大局が見えなくなっていたと思う。反省である。あんなテクニカルなレトリックで相手を言い負かしてもしようがない。
やはりこの問題は、静かにスルーしてしまうのが一番いいんじゃないかと思う。丁重にスルー。情報の寿命はどんどん短くなっている。ニュースの価値が減じている。新型インフルエンザ騒ぎを静めた一番の因子(の一つ)は芸能人が覚せい剤を使ったニュースだった。そのインフルエンザのニュースが消し去ったのは人気アイドルが酔って全裸になった話だった。尖閣諸島騒ぎで多くの日本人がかっとなったが別のニュースでほとんどの日本人はそのことを忘れてしまい、政治家の失言が騒ぎになっても北朝鮮のニュースがそれを消し去る。歌舞伎役者への暴行もおそらくは75日も持たない。だれもワールドカップのことなんて忘れている。その前の冬季オリンピックのことはもっと忘れている。3つ前の首相ってだれだったっけ?何もしなくても、ニュースの価値はどんどん下がっていく。
新幹線の中でたちどまり、少しペースを変えた中でそう考えてみた。
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