IDSAのケースディスカッションはいつ見ても面白い。良いケースが多い。かといってパネリストがティアニーのように爆発的に次元の違う人たちではないのも良い。鑑別診断は妥当だし、一緒に楽しむことができる。カッティング/エッジのリサーチマターは「へえ、そうなんですか」と追随するより他ないが、こと診断に関する限り、僕ら臨床屋はどんな学会に行っても萎縮する必要がない。こういうのを日本の学会でもやればよいのに、ととても思う。
日本の学会といえば、IDSAと時を同じくして化療学会、感染症学会の地方会や渡航医学会が行われている。短見だと思う。これは「日本か、アメリカか」というヘゲモニーの問題ではないのだ。ぶっちゃけ、IDSAのようなレベルの高さは日本の学会には見いだせない。このレベルの高さをぜひ、一人でも多くの日本人に体感してもらいたい。それがレベルアップを生むのである。アメリカの医療については批判すべき点も多々ある。しかしそれは、見てから初めて言えることなのだ。今回、IDSAに日本人の若手医師がたくさん参加していることは興味深く思ったが、逆に例年に比べて年寄りたちがあまりに少なかったことも興味深かった。日本の地方会とかに出ていたのかもしれない。
日本の学会はあきらかにIDSAより貧弱である。ならばなぜ地方会をバカみたいに何度も繰り返すのか。年に1回感染症学会、化療学会、臨床微生物学会と合同で(あるいは環境感染学会も一緒でいいが)総会をやればよいではないか。学会長をみだりに増やして喜んでいる場合ではない。演題も吟味して、いまより半分かそれ以下にすれば良いではないか。各学会は質の悪いポスターに満ちており、それが参加へのインセンティブをさらに下げている。自らが自らの質の低下を望むとは、どういう短見だろう。
リソースが少ないときに、なぜ無駄なことを望んでするのか。これは心理学的、社会学的には興味深いテーマであるが、現場の臨床屋としてはうっとうしいことこのうえない。地方会を乱発するよりは、せめてアジアの各国が日本の学会に参加して勉強したい、と思うような(ぼくらがIDSAの価値を位置付けするような)学会にすべきである。もっと広くて深い視野を持つべきである。
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