癌治療に関するワクチンに関して、朝日新聞の記事が波紋を呼んでいる。毎日新聞はウェブ上で
朝日新聞:がんワクチン記事に2学会が抗議 HPに掲載
日本癌(がん)学会と日本がん免疫学会は22日、東京大医科学研究所が開発した「がんペプチドワクチン」の臨床試験に関する朝日新聞社の記事について、「大きな事実誤認に基づいて情報をゆがめた」などとして、記事の訂正や謝罪などを求める抗議声明を、癌学会のホームページ(HP)に掲載した。
という記事を出した。
これが現在のマスメディア対応法である。かつてマスメディアの言葉の暴力に無力であった僕らは、簡単にカウンターアタックすることができる。もしその言葉が不当なものであれば、である。
インターネット以前には、マスメディアの言葉の暴力に僕らはあまりにも無力であった。しかし、いまはホームページ上で、ブログも含めてどんな個人でもファイトバックできる。新聞社に抗議文なんて送っても仕方がない。黙殺されるか、冷笑されるか、たらい回しにされるか、いずれにしてもよいプロダクツを生まない。しかし、インターネットに「実は、、、」という情報を開陳すれば、マスメディアのクレディビリティに傷がつく。プロの医者が説明する「それ」と素人のジャーナリストが糾弾する「あれ」のどちらに説得力があるか、それは読者が判断する。場合によっては他社のマスメディアがこれに呼応する。多くの新聞社やテレビ局が「ホームページによると」「ブログによれば」とネット情報を情報のリソースにする。今回の毎日新聞のように「学会HPによれば」と記事を広めてくれる。
マスメディアにとっては成長のチャンスである。プロにファイトバックされてもいいような強靱なデータとロジックがなければ、おいそれと記事にはできないからである。新聞記事やニュースは数週間もあれば忘れられる。なかったことにされてしまう。しかし、それを取り上げた批判のブログは理論的には未来永劫残り続ける。それは、僕らの論文がPubmedに記録されるのと同じである。これまでのようにしらんぷりを決めることができなくなったのである。
MMRが自閉症の原因である、と主張する論文をウェークフィールドという消化器のドクターがランセットに発表した。これはPubmedに載り、未来永劫残り続ける、、、、と思いきやこの論文はねつ造であることが何年も経ってからすっぱ抜かれる。これが論文の厳しさである。何年も前の新聞記事の誤謬を追求する輩は、よほど暇人か酔狂な人物でなければやらないものだ。論文書きは100年先の人にも「おれはこんな文章を書いた」と胸を張って言えるような覚悟がいる。いまや新聞記者やテレビのアナウンサーにもそれにやや近い(まあ、まだ遠いか、、、)覚悟を求められているのである。このことは、日本のジャーナリズムが成熟する上でとてもよいことだ。
その記事はおそらく今より「スタティックな」ものになる。しかし、僕らはセンセーショナルな記事に飽きている。スタティックな記事も良質なものであれば受け入れられる。それは、僕らがCGたっぷりのハリウッド映画や「来週に続く」とどぎつい展開で引っ張るマンガに飽き飽きしているのとパラレルである。スタティックなジャーナリズムであることを怖がる必要はない。センセーショナルな記事も毎日やっているとだれも驚かなくなるのである。
僕はもう「記者会見」はしなくてよいと思っている。情報公開は施設のHPからやればよい。記者会見はジャーナリストのために行うので、施設のためには行われない。当たり前だ。適切な情報の伝播を記者会見は保証しない。僕らは何度あの定型的な頭を下げてフラッシュライトが飛び交う記者会見の映像と、そこから醸し出す「悪いことをした奴ら」のイメージに振り回されてきたことだろう。記者会見はやるのが当然、という常識をまず疑うべきだ。しなければならない根拠は、よくよく考えてみると、実に希薄なのである。「今の世の中こうなっている」という「物知り」の言うことを聞いてはならない。彼は決して未来のあるべき姿を教えてくれないのだから。
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