今度出すワクチンの本の一部をここに紹介する。
「このような難しい問題に簡単な、単純なソリューションを提供しようと試みるのがいわゆるマスメディア、とくに新聞とテレビだと僕は思います。予防接種の問題は複雑で難しい問題なのにもかかわらず、マスメディアの世界では議論は矮小化され、単純化され、わかりやすい「物語」と化しています。例えば、「ある被害が起きた場合はそこに加害者がいなければならない」という勧善懲悪の「物語」です。
後述する京都・島根のジフテリア事件、1948年に起きたジフテリアのトキソイドによる死亡者が多発した事件で、同年11月10日の朝日新聞は「責任の追及は第一である」と報じています。問題の原因究明よりも責任の追及を第一義的な目標にしてしまっている。これは「かわいそうなワクチン副作用の被害者にかわって俺たちが悪い奴らを(どこかに設定して)懲らしめてやる」という話法です。なぜワクチンによる被害が起きたのか、どうやったら同じような被害が将来起きることを回避できるのか。朝日新聞の文章にはそのような建設的な議論がありません。ただ、悪者を見つけてこらしめて、溜飲を下げるという安っぽい時代劇のような鼻息の荒さだけがそこにある」
昨日、朝日の記者さんとお話をしていて、1948年の朝日の報道の話をした。「戦後間もないマスメディアはこのくらい幼稚でした。何かあると原因究明や実態の把握の前にとりあえず加害者を捜して攻撃する、という幼稚な英雄気取りです。それに比べれば今のメディアはまだましかもしれませんね」
残念なことに、僕の見込みは甘かった。マスメディアは昭和20年代から少しも成長していない。以下は産経新聞。署名はない。
引用はじめ
【主張】院内感染 悪質な隠蔽許さぬ処分を
2010.9.7 02:43
このニュースのトピックス:主張
帝京大病院(東京都板橋区)で46人もの入院患者が対象となる院内感染が発生し、感染が原因で少なくとも9人が亡くなった。情報共有が大幅に遅れ、拡大防止策が後手に回った結果、国内最大規模の被害につながった可能性が強い。
感染症対策は、早期発見に基づく感染ルートの特定と速やかな情報の公表が大切だ。ところが、病院側は何度も公表の機会がありながら、1年近くも情報を伏せてきた。悪質な隠蔽(いんぺい)行為と言わざるを得ない。
警視庁が、業務上過失致死の疑いもあるとみて医師ら病院関係者から感染が起きた経緯について事情を聴いたのは当然だ。東京都に加え、厚生労働省も医療法に基づいた異例の立ち入り検査を行った。行政としても結果次第で、特定機能病院の指定取り消しや一定期間の業務停止も含めて厳しい処分で臨む必要がある。
(中略)
病院では昨年8月時点で最初とみられる感染者が見つかり、死亡者も出ていたのに、感染との因果関係が確認できないとして、対策部署への報告はなかった。
保健所への報告や外部への公表は今月に入ってからだ。8月初旬には厚労省と都による定例の立ち入り検査が実施されていたが、報告もしていない。菌が検出された患者の転院時にも情報が転院先に伝えられなかった。病院側は「もう少し早く報告、公表すべきだった」と対応の不備を認めているが、結果の重大さに対する責任ある発言とはいえない。
(中略)
厚労省は今後、報告制度の在り方について検討する有識者会議を立ち上げるという。だが、どんなルールも医療機関としての自覚が前提となる。さもなければ絵に描いたもちにすぎない。
http://sankei.jp.msn.com/life/body/100907/bdy1009070244001-n1.htm
以上、引用終わり
情報の公表とは誰に対する公表のことをさしているのだろう。少なくとも、メディアに耐性菌情報を公開したからといって院内感染が減ることは絶対にない。公表の必要のないことを公表しないことは隠蔽工作とは言わない。今、叩かれるのを恐れた医療機関が慌てて記者会見をやっているが、その意義や意味は僕には分からないことが多い。単なるアリバイ作りに過ぎないことがほとんどだ。
警視庁が事情を聞き、厚労省が調査をしている段階で、何を根拠に「拡大防止策が後手に回った結果、国内最大規模の被害につながった可能性が強い」などと言えるのだろう。そんなことを言う根拠がどこにあるというのだ。国内最大規模の被害ってなんの被害のことだ?
厚労省は今後の報告制度のあり方を検討するという。検討するという未来の事項を今やらないという根拠で非難されるというのはどういう意味だろう。
「46人もの」というからには46という数字が「多い」ことを内意している。院内感染をゼロにするのは不可能だ。では、この名無しの主張者が適正と考える院内感染の数はいくつだというのだろう。多いとほのめかすのならば、「正しい数」「アクセプトできる数」を示すべきだ。それができないなら、「もの」という恣意的な表現をすべきではない。
新聞記者は統計学を学んでいないと昨日教えてもらった。「自分たちは文系だから」というのだが、これは驚くべきことだ。彼らは毎日数字を扱っている。内閣の支持率にしろ、降水確率にしろ、野球チームの勝率にしてもだ。内閣支持率が50%から52%になったとき、これが「支持率が上がった」というべきかどうかは、統計学を学ばずしてしゃべることができない。
僕は新聞記者が医学知識をたくさん持てとは主張しない。せめて日本語とか、数字とか、ロジックとか、自分たちが普段使っているものに対しては適切であってほしい。物書きとして最低限の能力や理念やプロ意識はもってほしい。
「結果の重大さに対する責任ある発言とはいえない」とはあなたのことである。少なくとも僕は、新聞記者だけには「責任ある発言をしろ」とは言われたくない。
責任ある主張とは次のようなものだ。
帝京大学病院でMDRABが見つかっている。現在厚労省と警察が調査中だ。調査中と言うことは何が起きているか現在ははっきりしていないと言うことだ。責任ある新聞記者として、私はこの時点で断定的に何かを語ったり、センセーショナルに誰かを攻撃したり、憶測でものを言うべきではない。だから、ここでは空想や憶測による安易な主張はせず、厚労省や警察の発表を静かに待とうと思う。読者諸氏も我々の責任ある報道を、今しばらくお待ちいただきたい。
これくらいかっこいい記者だったら、拍手送るけどなあ。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。