感染症屋や微生物学者さんの中には名称にとてもこだわる人が多いです。内的には(つまり、自分で使う分には)厳密にお使いになるのはよろしいが、他人にそれを強制するのは、ちと困る。もう少し柔軟でもよいのでは、と思う。
今でも僕はニューモシスティス肺炎よりはカリニ肺炎の名称を好む。もちろん、厳格な名称にこだわりになる方の前で「わざわざ」それと言う必要はない。少なくとも、だれかが「カリニ肺炎」と言ったとしても「いえいえ、それはニューモシスティス肺炎というんですよ」なんて訂正したりはしない。おっと、学術的にはニューモシスティスではなく、ニューモシスチスと表記しなければならない。そういえば、メトフォルミンとどこかで書いたら叱られて、「あれは学会でメトホルミンときちんと定義されている」と叱られたことがある。パラメターと書いたら、「パラメーターと直せ」と言われたこともある。
どうでもいいじゃん。
言葉とは現象を切り取ってそれに名前をつけただけの話だ。ソシュールの昔からそのことはよく分かっている。「学術用語」は「科学的に正しい」言葉と言うよりは、学者さんたちが「そっちでいきましょうぜ」というコンセンサスステートメントに過ぎない。科学的に厳密な、といわれている菌名の定義にしてもそうだ。遺伝子的に違う、と言われても、そもそもどこまで遺伝子的に違えば種の違いと呼べるのか、「科学的な正しさ」はない。科学者のコンセンサスがあるだけだ。遺伝子に違いがあれば違う種になるのであれば、あなたと私も別の種だ。
嫌気性菌、は微生物学用語と臨床現場では使われ方が異なる。臨床屋さんのいう嫌気性菌は「いわゆる」嫌気性菌で、strict anaerobeのことである。だが、この認識のずれが現場で問題となることはあまりない。いちいち揚げ足を取っても仕方がない。そもそも、anaerobeのanは好気性菌ではない、という意味で中性的なニュアンスがあるが、嫌気性菌の嫌、という字はあきらかに非中性的な言葉である。嫌い、ですもんね。この言葉から受ける印象は空気を嫌う、のであるから、strict anaerobeを指している方がイメージ的にはぴったりくる。冷静になって考えてみると、通性嫌気性菌って同義矛盾である。でも、もう人口に膾炙しちゃっているので、気にしない方がよい。
MRSAは厳密にはMRSAではない。定義的に言うとpan-beta-lactam resistant Staph aureusとすべきである。けれども、MRSAも人口に膾炙してしまったメジャーな名前である。仕方ないのである。
Salmonella typhiという菌名はない。でも、我々はそのように使うのである。milleriもそれでよいのである。
現場で困る間違いは、アリナミンとアミサリンとアミカシンを間違えるような間違え方である。これは、困る。でも、抗菌薬を抗生物質と呼んだからと言ってだれかが医療事故で死ぬわけではない。膠原病と言って「いえいえ、それは結合組織病ですよ」なんて言うのは野暮というものだ。CDADでもCDIでも、CRBSIでもCLSBSIでも、通じればそれでよいのである。
politically correctnessというのも性に合わない。そういえば、知人の黒人に「African American」といったらblackと呼べ、黒いものを黒と呼んで何が悪い。と指摘されたことがある。blackもラテン語語源のnegroも本来はニュートラルな言葉で差別的な意味は一つもない。ACミランのユニフォームはロッソ・ネグロであり、イタリア語にけんかを売る必要はない。ゲイやホモがMSMでなければならないのも、言葉の問題と言うより人の心の問題だ。それを言葉の問題にすり替えているところが、PCの嫌らしいところである。本質的な差別用語などほとんどない(ちょっとはある)。差別的な使い方があるだけだ。PCのいちばんいやなところは、「政治的に正しい」用語を使えば(本来問題にすべき)差別意識もちゃらになって、「なかったこと」にされてしまう(ことがある)点である。ゴダールの「気狂いピエロ」をそうよんで、差別がどうこうなることはないのである。
僕は言葉にはうるさい。こないだ、ある学会の座長がbasicなpresentationの意味だろうが、「primitiveなプレゼンテーション」と言っていて、おいおいと思う。「何々大学の○○先生の申すところによると」と言っていて、「そこはおっしゃる、だろ」とも思う。人のことはいえないが、言葉の使い方に無頓着なのは困る。でも、上記のギルド・ジャーゴンや「政治的な正しさ」の議論は、そういう本質的な問題ではないのである。
このへんは、感性の問題だな、たぶん。
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