前回、プロと匿名性について書いたら、結構反応は大きかった。ご存じの方はご存じだが、僕にとって「プロとは何か」はとても大きなテーマで10年以上取っ組み合っている。だから、このテーマに関する議論には仮借がない。
僕の中で、プロとは何か、という命題にはまだ答えがでていない。アメリカとかイギリスの「憲章」には全然納得がいかない。プロとは何か、はまだ分からないが、「こういうのがプロの属性」とか、「こういうのはプロではない」いうのは分かる。犬の定義はいえないけれど、「犬って吠えるよね」と言うようなものだ。
プロは、自分の言葉に責任を持つ
これはプロの一条件として(十分ではないけれど)成立するのではないか、と思う。逆に言えば、「自分の言葉に責任を持てない」ような者はプロとは呼べまい。匿名コメントはその責任を放棄している。だから、アマチュア的なのだ。また、この論拠で言うと、いわゆる「プロ市民」というのは、「市民」という錦の御旗を乱用して責任を放棄しつつ暴論を主張する人(じゃないかなあ)なので、「自分の言葉に責任を持たない」意味で、やはりアマチュアなのだと僕は思う。
だれかがどこかで「言論の自由」なるものをつぶやいていたが、大人の世界では自由と責任は一緒について回る。責任を放棄して自由のみ希求する、というのは「幼児」の世界でのみ通用する話だ。たとえば、スポーツの観衆はこのような感じだ。「岡田監督、やめちまえ」とか「なんでそこでバット振るかなあ」みたいな「暴言」は匿名性を保証された「観客」に許容される(もちろん「暴言」の程度によるが。観衆でもいっちゃいかんことはあるだろう)。実名をあげることは言論の自由とは何の関係もない。何を言ってもOKなのだから。ただ、実名だと、口に一回出してしまった後始末はちゃんととらなきゃいけない。いい加減なことはいえない。それだけの話だ。「言論の自由」なんてハンチクなことをうかつに口に出してはいけない。自由とは実は、非常に得難い重たいものだ。
もちろん、実名でありさえすればよい、というわけでもない。匿名では絶対にだめ、というわけでもない。何にでも例外は存在する。コメントにあったような「告発」がそのたぐいだ。ディープ・スロートのようなものだ。しかし、李先生が引用したこのエピソードそのものが、匿名性を活用して「告発」するような行為がいかにリスクを伴うものか、有責性を伴うものかを逆説的に証明している。ここでの「匿名コメント」には並々ならぬ「覚悟」がある。ネット上での無責任なコメントと同列に扱ってはならないのは当然だ。
http://www.igaku-shoin.co.jp/paperDetail.do?id=PA02875_04
前回書いたように、僕も一度だけ匿名を強いられたことがある。しかし、例外事象はまれにしか起きない。乱発される例外事象、なんて自家撞着である。
匿名性が保証されていると、一般的に良心的な人でも容易に「暴走」してしまう。医師も例外ではない。患者や家族にあからさまに不親切で不実な医者は、さすがに最近は珍しくなったが、匿名性が保証されると面前では絶対に言えないような暴言、暴論が容易に行われる。金沢の野村先生の論考が参考になる。登録しないと読めませんが。
http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/report/201004/514782.html
うちの研修医で最近、「白衣のクリーニングの仕方が気に入らない」と匿名投書してきたやつがいる。その程度のこと、なぜ実名で言わんか、医者として恥ずかしくないのか?と思った(もちろん、患者の苦情は匿名性が保証される。念のため)。
レアケースである「勇気ある官僚」の町田君から、誤字を指摘された。尾見先生は尾身先生である。感謝し、謝罪し、訂正します。すみません。
コメント
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