小沢牧子の「心の専門家」はいらない、を読みました。心の専門家、にカギ括弧があるのが大事です。彼女の言うところの、「専門家」が要らない、ということです。
・カウンセリング、この効率的かつ奇妙な技法 21p
・巧妙な装置であると言わざるを得ない 23p
・科学こそは人類の夢、自然の征服と開発の時代が来たという熱気は、現在の「心主義」の人々の傾倒ぶりと似通って、問答無用の趣を持っていた。27p
・若い世代がカウンセリングを求める要因はもうひとつある。それは、悩みがあればそれを即座に解決したいという強い願望である。32p
・暗黙のうちに望まれている自己決定をする必要がある。カウンセリング場面は、迷える相談者と「正しい専門家」の人間関係でできている。それは当然ながら権威と異存の上下の関係である。34p
・親が何故子どもを頑張らせるかといえば、「子どもの出来」によって親自体が評価されるからでもある。38p
・「心の時代」と呼ばれるものの実態は、「心」を消費させる時代のことである。、、それは「関係」を商品化することである。
まだまだ興味深いコメントは続きます。「心」や「家族」や「人間」の専門家っていったい何だろう。彼女は、「心の専門家」が安易に容易に「望まれた」規制のゴールに人を誘導することを「成功」とすることに違和感を覚えています。そもそも成功って何だろう。
そのことは、僕ら臨床医についても言えることでしょう。僕らの成果ってなんだろう。患者さんのニーズ云々よりも「こちらの都合」が常に巧みに優先されている非対称の世界なのに、「患者さんの自己決定権を尊重し、対等な関係を作る」と嘯いています。我々医者も、巧妙に作られた「ゴール」に人々、患者さんを誘導しています。それに自覚的であることが大事なのです。
こないだ亡くなったレヴィ・ストロースは、「未開」の地の人たちが劣っていて、彼らに「文明」を提供する、という考え方が根本的に間違いであることを示しました。僕らも、「知的レベルの低い」「コンプライアンスの悪い」「難しい」患者を下に見て、啓蒙します。自分たちの世界観が、世界観の全てであると勘違いしています。ヘモグロビンA1CやLDLやCD4が正常で、カロリー制限をして、運動をして、酒も飲まずたばこを吸わない患者が「よい患者」なのです。そういう人生しか正当な人生として許容していないのです。このことに自覚的でないと、医者もやばい。
患者、クライアントの気持ちが分かる、という「心の専門家」を僕は信用しない。「家族の専門家です」なんて断言する家庭医も信用できない。「病気を診ずに患者を見てます」なんて医者は絶対に信用してはいけない。患者を見てます、なんておこがましくて、よく口に出来ない。僕らは所詮、病気とその周辺にしか関与できないのです。
他人の気持ちなんて分かりません、家族の内実なんて月1回15分くらい会っただけで分かるわけがありません。患者さんよりも自分のことが実は大事です、医者患者関係は、どんなに繕っても最終的には上下関係の構造は根源的に逃れられません、(なぜなら、僕らには常に逃げ道があるから)、それでも、、、、と言える医者こそが、信用に値する。
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