事業仕分けはいろいろなことをやっているので、その及ぼす影響の範囲も大きいですね。さて、漢方診療の保険適応外しが大きな問題になっています。
http://www.yakuji.co.jp/entry17252.html
漢方医療が保険収載されるようになったのは、武見太郎氏の影響が大きかった、というのは有名な話です。
http://web.sc.itc.keio.ac.jp/kampo/index_1-01.html
で、僕も外来ではよく漢方薬を処方するのですが、この問題については割と考えさせられます。
「漢方薬」を保険収載するという意見、外すという意見は対立的ですが、両者の裏にある構造は全く同じです。「漢方薬」ということばそのものがグループになっているのです。
通常、僕らが医薬品の保険診療を語る場合、その採否を「グループ」で取り上げるということはしないと思います。「抗菌薬」や「降圧薬」であるという理由で保険適応になるのではなく、「○○マイシン」はどの病気に効くから、、、と個別に議論されます。ましてや、「西洋医療」とか「欧米医療(というものがあるとして、、)」であるという理由で採否が決まることもないでしょう。
なぜ、漢方薬は「グループ」で扱われるのでしょうか。それは、漢方診療が他の診療とは区別される別個の概念だからでしょうか。また、別個の概念だとして、それは特別扱いされるような個別性なのでしょうか。それは、属性故の個別性なのか、あたかも文化財のように「保護しなければ滅びてしまう」存在であるからなのか、、、、
僕は、そうではないと思っています。漢方薬も漢方診療も薬や診療の一バリエーションに過ぎず、その部分には(他の部分にあっても)個別性は無いと思います。歴史性?や生薬というコンセプトならジギタリスやキニーネ、アーテミシニンにもあります。「証」にしても、実はすべての医療判断や診断は「見立て」なので、「証」だけに特権が与えられる個別性は、根源的にはないのです。これは現在取り組んでいる新しい診断学の考え方で議論する予定です(今は煩瑣になるので、ここでは割愛)。
だから、漢方診療「だから」保険適応を除外、という議論も、また漢方「だから」残す、というのも同じ根拠で間違った議論であると僕は感じています。このような書き方をしてしまうと、両サイドから怨嗟の声が上がりそうですが、、、、、ただ、ある「立場」から切る、残すという議論をすればこれは単なるパイの奪い合いになってしまう。このようなポリティクスもプラグマティズムの立場からはよいのだ、という意見があるかもしれませんが、このような議論構造だと漢方薬は未来永劫「仕分けられる」リスクをのど元に突きつけられながら、おっかなびっくりの存在を余儀なくされてしまいます。僕自身が漢方薬を処方している医師だからこそ、この脆弱な構造の綱渡りには危惧を覚えます。実際に過去にも同じような議論、嘆願運動、継続という歴史があったようですし。
ちなみに、漢方薬は有効かどうか、という議論については近著「感染症は実在しない」で吟味しました。
ここでも問いの立て方、議論の仕方の組み直しが必要なのでしょう。僕はそう思います。
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