浦沢直樹のPLUTO最終巻を読みました。これについては、西條さんの面白い論評があります。
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さて、手塚治虫の地上最大のロボットは、強いロボットとプルートウとの対決が見物の少年漫画で、わくわくして読んだことを覚えています。線形に、
プルートウ対誰々
を一貫して行っており、最終話まで対決の連続という構造をとっています。
ところが、浦沢版PLUTOでは、むしろ複数の物語が同時進行し、それが網の目のように入り交じってストーリーが展開される、複雑な作りになっています。それは、
1.ゲジヒト夫妻と子どもに関わる物語
2.サハドにまつわる物語
3.アブラー博士とダリウス14世の物語
4.トラキア合衆国とペルシア王国にまつわる物語
5.天馬博士の物語
6.アトムとプルートウの物語
などなどです。ブラウ1589とアトムやゲジヒトとの絡みなど、よく分からない部分も多いのですが、「謎を残すことそのものが自己目的」な浦沢作品なのでそこは戦略の一つなのかと思います。物語の多重構造の中に、「愛と憎しみ」という根底のテーマが流れています。ポリフォニックなストーリーの展開は「カラマーゾフの兄弟」を連想させます。
全体的には、最終話から逆算して物語をきれいに作っており、西條さんがおっしゃるように謎を丸投げしてひっぱるだけ、という20世紀少年やMONSTERに比べるとずっとすばらしい話でした。僕はヨーロッパが好きなので、その社会を上手に描写したMONSTERは好きでしたが。
ところで、憎しみの根底にあるのはいったいなんでしょうか。僕にもよく分からないところがあるのですが、その一つの基材として、「嫉妬心」があるように思います。
嫉妬心は、プルーストがあのうっとうしくて長ったらしい小説、「失われた時を求めて」で真剣に研究した大きなテーマでした。手塚治虫の漫画を作る根底のエネルギーは、ライバル作家たちに対する嫉妬心であったと想像されています。浦沢直樹の今回の挑戦が手塚に対する嫉妬心かどうかは知りませんが(たぶん違うでしょう)。嫉妬心は社会を動かすうえで非常に大きなウエイトを占めている力強いエネルギーです。しかし、これに克つ方法を、未だ人は知らないのです。プルーストの時代から、一歩も前に進めていないような気がします。僕自身は、自身の嫉妬心に自覚的であることだけが、これをやりくりする精一杯の方法ですが、その程度の防御策しか持っていません。
と、新横浜から新大阪までの新幹線の中でだらだら考えてみました。今日は朝は指導医講習会でレクチャー技法のワークショップ、夕刻から大阪で小児科の先生に抗菌薬のお話をします。
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