一般に、私はHIV陽性患者さんには、自分のパートナーに病気や感染のことを伝えた方がよい、と提案しています。
それは、なんというか、「知る権利」と「プライバシーを守る権利」の葛藤だとか、「患者の自己決定権」と「社会的正義」の葛藤といった、二律背反的な対立構造の果てに生まれたものではありません。たぶん、そのような権利、義務といった「新聞的な」議論をしてしまうと、間違えてしまうのだと思います。
簡単に一言で言うと、この問題は「愛情」の問題だと思います。
もし、あなたが自分のパートナーを心から愛しているのであれば、その人の健康にも心配りをするのであれば、感染について事実を伝えるのは「必然」な感情だと思います。それは、とても苦しい選択です。しかし、愛する人に隠し事をし、その健康を害する懸念に思い悩むのはもっと苦しいことかもしれません。愛すれば愛するほど、このような事実は伝えにくいのですが、その愛の強さを勇気に変換させる以外、たぶんよい方法はないのだと思います。
もし、パートナーにそれほどの愛情を感じない場合、まあ、普通におつきあいしているけど、そこまでイレコメネーヨ、という場合であれば、私だったら適当な時期にお別れすることも提案するかもしれません。これはケースバイケースですが。
以下、ニーチェ、「この人を見よ」より引用
「私に言わせれば、「自己」(ego)そのものが単に一つの「高級ぺてん」、一つの「理想」にすぎないのである。およそ利己的な行動も、非利己的な行動も、じつはどちらも存在しない。(中略)その揚げ句、愛とは「非利己的」なものでなくてはならないと説く、あの戦慄すべき荒唐無稽についに到達してしまったのである。が、人はしっかりと自己の上に腰を据えていなくてはなるまい。また自分の両足で毅然として立っていなくてはなるまい。さもなければ人を愛するなんてことはできない相談なのだ。この点は結局、女の方がずっとよく知っている。女というものは、自我がなくてただ単に公平にすぎないというような男には、興味を示さないものである」
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