最近、海外のジャーナルから論文査読を頼まれることが増えてきました。今、2度目のレビューをやっている論文がありますが、すごく反省しています。三人の査読者のうち、僕がいちばん「いけていない」査読をしているからです。
論文の論旨全体をサマライズし、論文のstrong pointsをまとめ、それを出すに値するものかどうか総合評価し、その中で瑕疵を、とくに構造上の瑕疵を指摘します。そして、「こうすればもっとよいものになる、なぜなら」という論拠も明解になっています。今回のco-reviewers二人は(名前非公開ですが)それがよくできていて、とても勉強になりました。
それに引き替え、僕のは「ここのスペルが間違っています」みたいな、ちょっとぱっとしないコメントが多くて、全体として論文の核心部に対するコメントが少なく、他の2つのreviewの間でいかにもみすぼらしく見えたのでした、、、、、
我々の査読後(正確に言うと、僕以外のreviewersの査読のおかげで)、論文は見違えるように良くなっていました。理論武装がずっと強くなり、同じデータでも、構成と論理構造でここまでよくなるものか、と感心しました。
今、一本論文を準備しているところですが、査読作業そのものが自分の論文書きにポジティブに作用しているのが分かりました。良いトレーニングの機会を得て喜んでいます。
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