narrow is beautifulですが、あれって昔シューマッハーだったかプンピードだかが書いた(このしゃれは誰にもわかんないだろうなあ、、、、)、Small is beautifulのもじりなんじゃないか、と雑誌のエッセイを読んでいて、ふと気がつきました。なんだ、そんなに悩む問題じゃないじゃん。言葉のオリジン探しは、たいてい「僕」より物知りな誰かさんにひっくり返されるのでした。
さて、頭の打ち所が悪かった熊の話、というすてきな本を読みました。すてきな本を読むと自分が少しだけ浄化されるので、こういう体験は時々必要です。
で、そのこととは何の関係もない話。
いま、秘書さんが一時的に(来週まで)失踪しているので大変困っています。僕はタイムマネジメントは得意な方で、時間をかなり有効に使っている人だと自負していますが、タイムマネジメントの原則その一は、「有能な秘書を持つ」です。
僕は、常々いろいろなことをほとんど同時に考えながら生きています。患者さんに出す抗菌薬の投与量を考え、研修医に発する言葉を考え、学生の授業のことを考え、研究活動の統計学的処理の方法を考え、兵庫県の新型インフルエンザ対策を考え、日本という国の感染症対策のあり方を考え、そもそも新型インフルエンザとはいかなる現象かを考え、その間に、今夜は何を食べよーかなあ、などと考えます。たくさんのレイヤーで物事を同時に考えるのですが、そのレイヤーが日に日に増してきて、僕の限りなく黒に近い灰色の脳細胞を飽和しつつあります。僕の方が、「頭の打ち所が悪い」状態になりつつある。
そんなときに秘書失踪。出張時に、飛行機のチケットを確認し、時間を確認し、ゲートを確認して、なんとか秘書なしでも結構やっていけるじゃん、俺、と得意がっていたら運転免許証を忘れていたことが発覚。慌ててレンタカーの予約を取り消して、今バスに乗っています。これで甚大なるタイムロス。僕は忘れ物が多いので、たいていのものにはスペアやバックアップを用意しているのですが、運転免許証のスペアってないものなあ。他人に借りることもできないし。
しかし、捨てる神あれば拾う神あり。バスターミナルでひょっこり寄った本屋さんで、偶然邂逅したのがヴェイユの「ヴェイユの言葉」とバタイユの「ニーチェについて」でした。これらを衝動買い。
今、ちょうどニーチェの「善悪の彼岸」を読んでいます。それまでプルーストをすっ飛ばし読みしていたので、今回は彼のアフォリズムを一文一文噛みしめながら精読しています。ニーチェにしてもヴェイユにしても、確固たる意志を持ったアウトローに徹しているなあ、と思います。そしてとても誠実です。そのヴェイユの言葉に、過去に対するプルーストの洞察に関するコメントが。いろいろつながってきます。
新型インフルエンザ対策は、その実、ウイルスとの戦いではありません。たとえば、内なる怠惰との戦いです。怠惰というのは必死こいて徹夜で文章をまとめたりすることを厭う「怠惰」ではなく、現象の本質を考えることを面倒くさがってしまう怠惰のことです。「水際作戦は成功だったのでしょうか、失敗だったのでしょうか」と過度に問題を単純化、矮小化してしまう怠惰です。「今の日本ではそれは無理だから」「本来、官庁とはこういうものだから」「そこはそれ、いろいろあるから」というすべすべしていて耳に心地よいが、そのくせ全く意味を持っていない常套句との葛藤でもあります。現状維持というねっとりしてやっかいなはえ取り紙を引きはがす作業でもあります。確固たる意志と誠実さが大事です。ちゃんと自分の頭で考えなきゃだめなんだ。
何が言いたいかというと、運転免許証を忘れてしまった言い訳を必死こいてしているのでした。
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