ビジネスモデルには賞味期限があり、その賞味期限は近年どんどん短くなっている、、、こんな話を聞いたことがあります。
そういえば、破綻したリーマンブラザーズもそのちょっと前には優良企業としてそのビジネスモデルが雑誌とかで賞賛されていたそうです。そういう雑誌は反省せず、沈黙するだけなのですが、、、
教育モデルも、本当は内田樹が「街場の教育論」で指摘したように、10年、20年というスパンで評価されるべきなので、新しいモデルの正しさ、妥当さは、そのときには誰にも分かりません。誰にも分からないものを、さも分かるかのように喧伝し、そのオールマイティー性を謳った場合、それは「うさんくさい」、ということになります。朝4時くらいにやっている、テレビショッピングのダイエットグッズくらい、うさんくさい。
教育論は、控えめに中腰で、自信なさげにやるのが健全で、胸を張って鼻息荒く、「俺が正しい、教育論」をぶつとき、それは信用に値しない、という皮肉が生じるのでしょう。
それに、教育者も被教育者もそうですが、同じモデルをずっと使っていると手垢がついて「飽き」がでてきます。賞味期限が切れたのです。学者は同じことばかり言っていてもだめ、というわけで新しいモデルを作りにかかります。そのような意図そのものが、一種のバイアスとなって働く、ということもあるでしょう。
「最新の教育モデル、こんなことも知らないの?」とその「最新性」を自らの優越感と引き替えにしている場合、それは今年のモデルのハンドバッグを知っているのと同じ構造しか持っていないのでした。流行のバッグを知らないとダメなのか?は分かりませんし、まして持っていないといけないというのは誤謬に過ぎません。似合っているかは、いうまでもなし。
ハンドバッグ同様、教育モデルには、その教育者のもつキャラによる好み、相性もあるでしょう。俺にはどうしても似合わない教え方、というのはあるものです。まあ、主観的な好みと、他人から観た「似合っている」は乖離することもあります。おしゃれと身だしなみは異なる、ということでしょう。
何が言いたいかというと、暖かくなってきたので、そろそろ春物の衣類を用意しなくてはね、ということでした。
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