感染症法という法律があります。しかし、この法律が何のために存在し、そしてそれが何をもたらしているのかは誰にも分かりません。たぶん、法律を作った人たちも十分理解していなかったと私は思います。
エイズは届け出感染症にしなくても良いのではないか、という提言がランセットに出ています。
Lancet 2009;373:181-
ええ?どうして?とびっくりされる方もおいでと思います。でも、私にはそれは普通の考え方だと思います。
オランダなど諸外国では届け出感染症を「公衆衛生上対応するのに必要な感染症で、届け出ることによって対策がとれる」ものに限定しています。例えば、コレラが勃発すれば、報告することで対策がとれるのです。
一般に、性感染症は届け出をしても公衆衛生上の対策はとれません。あくまでも問題は医療者と患者個人の関係から対策されます。患者教育などは当然必要ですが、隔離も必要なければ環境培養も不要です。性感染症は、個人の問題、という認識がヨーロッパでは採られます。
もちろんそれはHIV感染対策を採らなくてもいい、ということではありません。サーベイランスも必要でしょう。しかし、保健所に届けるといった手続きがいったい何を社会や個人にもたらすのか、そういった根源的な発送が必要なのです。オランダではだから、性感染症は届け出感染症ではありません。
日本の場合、例えばMRSA感染症(MRSAキャリアでなく)が届け出制でしかも定点観測だったり、急性肝炎は届け出だけどキャリアは要らない、など届け出が何のために存在し、何をもたらしているのかがさっぱり分かりません。アウトカム分析もしていないでしょう。要するに、調べるために調べる、というトートロジーなのです。その証拠に、多剤耐性緑膿菌の数を数えるだけで、何の対策もとっていません。
なぜ、なんのために。このような問いの立て方をするのが、日本人は一般的に苦手です。しかし、タブーを作らず、「常識」を固定せず、常にそのような問いをたてていくことこそが、アウトカムを出したいプロの態度だと思います。
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