初期研修の話題があちこちで議論されていますが、迷走しています。理由は簡単で、「何のために」初期研修をしているのかが、明示されていないからです。テクニカルな問題ばかり扱っているから分からなくなるのです。
こういう医者になりたい、なってほしい、というヴィジョンをもち、逆算してそのためにはどんなトレーニングが必要か、という戦略を練ると、話はそんなに難しくありません。しかし、ヴィジョンの部分がぼんやりしたまま技術的な議論をしているので、「1年か、2年か」、みたいな(私には)どうでもいい議論ばかりが展開されます。
さて、私は感染症後期研修をやってきましたが、その目指すものは明解です。
それは、私自身に追いつき、追い越してもらうことです。
そして私自身が目指すものは、世界のどこに行っても通用する医者になることです。
神戸大学病院とその関連病院でないと仕事が出来ない、では当然ダメです(神戸大学でも通用しない、は論外です)。日本のどこに行っても、世界のどこに行っても、診療所でも大学病院でも、どのようなセッティングであってもまっとうな仕事が出来る、というのが目指すところです。従って、その目的に照らし合わせると、ある程度の英語力は当然必須と言うことになります。このように目的に照らし合わせて何が必要かと考えれば、やることは割とシンプルに決まってくるので、「高校の授業を全部英語にするかどうか」みたいなしょうもない議論も消失するのです。
これまで私と亀田の細川先生のもとで育った感染症フェローシップの卒業生たちは、だから世界のどこに行っても二本の足でしっかり立ってきちんと仕事をすることが出来るインデペンデントな医師たちです。その実力は、アメリカやヨーロッパの感染症の専門家と並べてもまったくひけをとりません。じっさい、南米、中米、北米、アジアなど様々な国でも、病院の規模や企画が変わってもちゃんと活躍しています。まだ私を完全に凌駕している人はいないかもしれませんが、現在の活躍ぶりをみているとそれも時間の問題のように思います。教育者にとってそれ以上の幸せはないわけで、部下の仕事を盗んだり、ステップアップを阻止している教員をみると本当に嫌になります。
現在の感染症専門医制度は、世界のどこに行っても通用する感染症医という目標を担保していません。学会にお金を貢ぐご褒美としての専門医制度になっているからです。こんな小さな了見ではとても人は育ちません。私は今年学会専門医になりましたが、専門医になって5年経たないと指導医にはなれず、指導医にならなければ学会専門医研修施設になれません。このようなたちの悪い愛人みたいな学会では世界にそっぽを向かれてしまいます。もうちょっとまっとうな目的をもって専門医を育てなければいけません。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。