職場における、あるいは家庭における「平等と公平」についての議論をよく聞く。例えば、ワークライフバランスにおける議論、あるいは性行為の合意についての議論などにおいて。
職場であっても、家庭であっても各人が平等で公平であるべきだ。だから、このような議論の流れはとても望ましいと思う。
ただし、「平等」と「公平」は結果である。目的ではない。
ぼくはこの話をサッカーに例えて述べることが多い。
あるサッカーチームがある。「平等」で「公平」にするために、11人のプレイヤーの走行距離やシュートの数、守備の回数などを全て同じにした。皆さんはこのようなサッカーチームをどう思うか。まことに間が抜けたチームだとは思わないだろうか。
実際、プロであれアマチュアであれ、こんなマヌケなサッカーチームは存在しない。質の高いチームであれば、なおさらだ。
世界で一番質の高いサッカーを展開するFCバルセロナのエース、リオネル・メッシは世界最高の選手の一人である(世界最高の選手、でなければ、、、)。しかし、メッシは他の選手に比べて1試合あたりの走行距離はずっと少ないし、守備はほとんどしない。背が低くてヘディングもほとんどしない。
しかし、メッシに他の選手と同じように走らせ、守らせ、ヘディングをさせていたら、バルサは今よりずっと弱いチームになっていただろう。
仕事にしても家庭にしても、大事なのはアウトカムである。結果である。
仕事の早い人と、仕事の遅い人に同じ量の仕事を任せるのは愚かな上司である。職場のアウトカムという観点からは、前者に多くの仕事を与え、後者の仕事量を減らすか、あるいは全く異なるタイプの仕事をさせるのが正しい。「不平等じゃないか」というのは短見である。両者にかかるメンタルな、あるいはフィジカルな負荷は同じなのだから。100kgのものを軽々と持ち上げる人と、5kgのものをやっとこさ持ち上げる人に同じ重量の荷物を運ばせるのは「不平等」なのだ。あるいは、仕事の後のハッピネスの量の平等を勘案してもよいだろう。
サッカーにおいては刹那、刹那で各人が必要とされているタスクは異なる。ある人物が全力疾走しているとき、他のプレイヤーがだらっと歩いていることは「必要」である。そこでこの人物も走っていたら、チームはすぐにバテてしまって大敗するであろう。各瞬間に全てのプレイヤーが必要なプレイをすること、チームに最適解を与えること、それこそが平等であり公平なチームなのである。
家庭においても同様だ。得意な仕事、好きな仕事、苦手な仕事、嫌いな仕事などがある。疲れているとき、そうでもないとき、間近にストレスフルなプレゼンを抱えているとき、目下特に大仕事を抱えていないとき。家庭においても各人の抱えている事情はそれぞれ異なる。よって、不平等に家事を分担するのがしばしば最適な「平等」となる。その平等の形は、毎日毎日異なるのである。
刹那的に、常に各人が異なる塩梅で、互いに気遣いながら家事をシェアすることで、初めて家庭は動的な平衡を得る。スタティックに役割分担を決めているだけでは(もちろん、緩やかな役割分担は必要だけど)、ほんとうの意味での平衡と平等は訪れない。よって、「それぞれが決まった役割を平等にこなし」これを動かさない家庭は間違いだ。こうすると、ストレスや疲労を抱えている人は他より余計に疲れてしまう。ここは、周りが彼、彼女を支えて負荷を少なくしてあげるのが当然だ。それこそが、「平等」なのである。
家族に対する慈しみや気遣いは、要するに、「私よりもあなた」というメンタリティーである。このことをぼくは拙著、「性の話」で詳しく理論化した。家族、あるいは夫婦がお互いに気遣いあい、慈しみあうことの総量が「平等」という結果になって現れるのである。与え合うことで、ネットとしてチャラになるのと同じだ。お互いが自分の領域を守り、相手と同じ量しか与えない、というギスギスした計算を繰り返し、「平等」と「公平」と常に要求し続ける家族や夫婦や組織は、ネットの上では収支差し引きゼロということになるのだが、実際の組織、家族、夫婦のアウトカムは全く異なるものになる。
繰り返す。職場であれ、家庭であれ、夫婦であれ、あるいはその他の形態のカップルであれ、不平等や不公平はよろしくない。が、不平等を否定することそのものを目標とすると、全体のパフォーマンスはだだ下がりし、結局は皆が不満感を覚えるつまらない結果となる。
最近の米国などではフェアネスを希求するあまりに結局みんながギスギスするヘンテコな事例が散見される。個人が個人と足を引っ張り合うゼロサムゲームとしては、それで利得を得る人もいるだろうけれども、端的にそれではあまりにつまらない。
では、日本はどうか。日本はアメリカよりもさらにひどく、そもそもフェアネスが希求すらされていない。会社でも家庭でも夫婦間でも不平等が蔓延している。よって、現状維持はもってのほかであり、改善点は山ほどある。
しかし、勘違いしてはいけないのは、現在のアメリカがそのゴールだとは言えない、ということだ。そこまで見据えた上で、今のアンフェアな現状を打開にかかるべきなのである。
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