昨年のPC学会と今年の感染症学会のシンポジウムでも紹介した東日本大震災後の経口抗菌薬使用に関する研究がようやく論文化されました。災害と感染症両方扱える査読者探しに難渋しましたが、最初に投稿したジャーナルにほとんどなおしなしでアクセプトされたので大満足です。共著者はじめ関係者諸氏にはこの場を借りて厚く御礼申し上げます。
[http://journals.lww.com/md-journal/Fulltext/2017/04140/Prevalence\_of\_inappropriate\_antibiotic.47.aspx]
さて、本研究についてはいろいろなご批判も頂戴している。曰く、せっかく被災地まで来てくださった医療者(医者)を貶すのは失礼だ、検査できなかったんだからしかたがない、患者の方もなんか薬欲しがってた、整形外科医や心臓血管外科医などふだん風邪とかみない医者も混じってたんだからしようがない。
それぞれお説ごもっともではある。われわれの目的はもとより関係者を論難することではない。震災という巨大な経験から学び、未来の対策に活かすことだ。災害後の抗菌薬使用実態に関する先行研究はほとんどない(if any) 。災害時の診療ガイドラインもない。次に大きな震災が起きた時も、そしてそれは必ず日本のどこかで起きるに決まっているのだが、やはり多くの医療者が被災地にかけつけることだろう。その多くはふだん風邪とかみない医者かもしれない。当然、いつものような検査はできないだろう。では、現状維持でよいのか。もちろん、ダメに決まっている。次の震災ではわれわれはもっとましな診療を現地の被災者に提供するのだ。それこそが東日本大震災の被災者や支援者の心に応えることであろう。ぼくはそう思っている。
こんなの、ただ数、数えただけじゃね。研究じゃねーよ。そういうご批判もあったそうだ。もちろん、ただ数、数えただけである。臨床データがほとんどない現地の診療録でファッショナブルな統計解析などもとより望みようがない。普段の診療をコントロール群に、という意見もあったが、的外れな解析になるだけだろう。たとえ統計的有意差が出ても。
査読者として最近みたASP系論文で、もちろん詳細はここでは言えないが、「若い女性の尿路感染症」のみ抗菌薬がガイドライン通りになっていない不適切使用だ、という結論の多変量解析があった。ぼくはそれを読んで、若い女性の特定の疾患だけ不適切に薬を出す医者ってどんな医者だろ、と想像した。そして、その国の医療制度も調べて、おそらくレセプト診断はほんとうの診断ではなく、それはSTDをユーフェミスティックに表現したものと推測した。若い女性だけが求めたユーフェミズムだ。堅牢でアクロバティックな統計解析も大事だが、そういう臨床的な眼差しも大切だ。
いずれにしても、「数、数えただけ」のわれわれの論文は本邦初の、おそらくは世界でも例がない貴重な数である。船に乗ってりゃいつかは大陸発見すんの当たり前だろ、という論難がかつてあったことを思い出されたい。そういえばアニサキス予防のRCTも「こんなの研究じゃない」とある基礎医学者に論難された事がある。医学研究といえばマウスや遺伝子を扱えるもの、という考え方はかつて主流だったしいまでも大学ではマジョリティだろう。そのマウスの実験も物理学者の実験に比べれば随分ざつなものかもしれない。物理学者の実験も理論物理学者からみればざつな営為かもしれない。それも数学者の目からみれば、、、哲学者の目からみれば、、、で、哲学者の書物は物理学者にケチョンケチョンにされる(「ダーク」を読む限り)、というループがある。われわれの質的研究も日本の雑誌では「量的解析がない」という冗談のような理由でリジェクトされた。
まあ、要するにこういうのは一種の「バカの壁」なのだが、横断的にいろいろな研究をやりたいぼくとしてはぜひ他山の石としたい教訓だ。他者の批判はいつだって思考を研ぎ澄ますための大切な砥石なのだ。
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