D「さて、鑑別疾患の話をしたから、もう少しアドバンスドなトピックも扱っておこうかな」
S「おお、いったい、なんですか?」
D「S先生、心筋梗塞患者の「心筋梗塞」は何をもって心筋梗塞と呼ぶんだ?」
S「えっと、、、心電図のST上昇??」
D「全然、不正解じゃ!MI以外の疾患でもSTは上がるし、MIでもSTが上がらないことだってある(NSTEMI)。一度、両手両足を縛って道頓堀に飛び込んで一晩ゆっくり過ごすといい。少しはましになるだろう」
S「死にますって」
D「MI見逃したら、患者が死ぬだろが。間違った基準で心筋梗塞を把握するとは、MIの見逃し、患者の死を意味する。むしろお前が死んだほうがずっとマシだ~」
S「普通、死ねまでいいませんよ~」
D「さあ言え。何を基準にMIはMIなんだ?」
S「心エコー?」
D「最悪の答えだ」
S「トロポニン?」
D「まだまだ」
S「心カテ?」
D「割と正しいが、「そういう質問」をしているんじゃない」
S「えええ、、、分かりません」
D「いまのは、少しマシな答えだ。そう。分からないと自覚できるのは、知性の証だよ、プライドだけが高くて実はなんにも知らない人気指導医のS先生」
S「人気は関係ありません、、、て僻んでるんですか?」
D「俺様は僻みとは全く無縁の存在だあ~~~、くそッ」
S「いまやっぱり悔しがってませんでしたか?」
D「気のせいだ」
S「うーん、結局、この条件を持って心筋梗塞って言い方をしようと思うと、常に余剰や欠如が生じてしまうんですよねえ」
D「おっ、だいぶ分かってきたな。「そういう考え方」がこの質問に答えるのには大事なんだ」
S「え??」
第79回「モナドロジーの教え AがAであるということ」その1 終わり
続く。
この物語はフィクションであり、DとSも架空の指導医です。
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