D「研修医のレベルをさらに上げるスキル、それは「質問しろ、教えるな」だ」
S「え~教えないんですか?昔の外科医みたいに「背中を見て育て」って感じですか?」
D「そうじゃない。まあ、「背中を見て」育てるのも必ずしも悪くないんだけど、その話はあとでやろう。問題は、このまえやった「主体性」だ」
S「ああ、日本の研修医がなかなか持てず、我々にも教えられない「主体性」ですね」
D「自主性を育むためには、「教えない」のが一番だ。その代わり、質問しろ」
S「ええ」
D「肺塞栓の診断は、こうだ、とか治療はああだ、と教えるな。「肺塞栓はどうやったら診断できるのかい?」と聞くんだ」
S「なるほど」
D「相手の答えを聞いたら、それを微調整してやる。正しかったら、「そのとおり」といってやる。こういう感じで研修医を上手にエンパワーしてやるんだ」
S「なんか、いつになくまともな指導医みたいなコメントしてますね」
D「おれはまともな指導医だよ。答えが分からなくてもすぐに教えなくていい。「教科書を読んで、調べてこい」と言えばいいんだ。勉強させろ」
S「なんか、ツンデレですね」
D「すぐに教えるな。自分で教科書を読み、学び、問題を解決するスキルを教えるんだ。それが「魚を与えるな、魚のとり方を教えろ」というやつだ」
S「なるほど」
D「教科書の読みが甘かったら、そう言え。教科書の選択そのものが間違っていたら、それも指摘しろ。でも、すぐに教えるな。何が甘かったのか、どこが反省すべきなのか、どういう教科書を選択すべきだったのか、自分で考える機会を与えろ」
S「焦らしプレイですね」
D「そっちに話を持っていくか?ま、でも1種の焦らしプレイだ。すぐに答えを教えると、答えを見つけるスキルがつかなくなる。それは研修医にとって残酷なことだ。教えるな、考えさせろ」
S「なんか、かっこいいですね」
D「まだだ。質問は重ねろ。シングルクエスチョンで終わりにするな。例えば、教科書選びが稚拙な場合、正しい教科書を自分で探させる。さがしてきて、もし正解だったら、質問にダメを押すんだ」
S「ダメを押す?」
D「聞くんだよ。「さて、では「良い教科書」とはそもそもどういうものなのかな?って」
S「あ~、なるほど」
D「たとえよい教科書を選んできても、それがあてずっぽうだったり、見当違いな根拠では意味がない。意味が無いとは、次に同じような問題が来たときにしくじる可能性が高いってことだ」
S「ふむふむ」
D「要するに学びとは個別の事例から一般法則を引き出すことだ。「良い教科書の条件とは何か」。この一般法則を、教科書さがしの中から抽出させるんだ。非常に大きな学びになる」
S「ナットクです!」
D「最近、成人教育理論とか、言葉だけが流行りになっていて、その実態は研修医を子供扱いってのがとても多いんだ。そして考えてみろ。こういう「質問を重ね、考えさせる。すぐに答えを教えない」の延長線上に「背中を見て教える」があるんだ」
S「あああ、なるほど」
D「「背中を見て教える」を理不尽な時代遅れの教育とするか、最先端の成人教育理論の究極の形と見るかは、解釈にもよるし、やり方にもよる。でも、そういうことだってことは覚えておくと良い」
S「逆説ですねえ」
D「通俗な理解で満足すんなよ」
第30回「答えを教えるな、質問しよう」その2 終わり
続く。
この物語はフィクションであり、DとSも架空の指導医です。
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