ようやく発売です。一人で一冊訳すのはいい加減止めたい、と思いながらもどうしても止められない、、、、ほとんどフルマラソンと同じ状態です。早速今朝使ってみましたがハンディで薬はアルファベット順で探しやすくて、字もわりと大きくて、とても使いやすいです。ぜひご活用ください。「はじめに」とボーナストラックの「日本におけるHIV/AIDS」をこちらに転載します。ではどうぞ。
訳者より
アメリカでよく使われているHIV Essentialsの翻訳版をお届けできるのはとてもうれしいことです。
HIV/AIDSは1981年に見つかった病気で、訳者はこの問題と1992年ごろから取っ組み合ってきました。当時は「死に至る病」であったエイズが、現在ではコントロール可能な疾患になり、天寿をまっとうすることも不可能ではありません。アメリカなど多くの国が全力を傾けて研究を重ねてきたおかげでこの疾患の予後は劇的に改善しました。
まだHIV感染症の「治癒」は困難な状況です。「治癒したのでは」と考えられていた男の子、いわゆる「ミシシッピ・ベイビー」も2014年に血液からHIVが検出されてしまいました。効果的なワクチンもまだありません。しかし、それでもこんなに短期間で致死的な疾患の予後を劇的に改善させた事例は、医学史上極めて稀有なことです。HIV/AIDSは人間という存在の無力さと、偉大さを同時に教えてくれています。
日本ではHIV/AIDS患者は数万人規模で存在すると言われ、現在も毎年新規感染者が見つかっています。予後が改善されたということは、患者が長命になったということであり、新規感染が続いているということは、患者総数は増え続けているということです。今後も(残念ながら)患者は増え続けていくことでしょう。よって、HIV/AIDSに関わる医療従事者の数も増やしていく必要があると思います。
劇的な進歩を続けているHIV/AIDS診療ですが、ここ10年、15年程度の治療戦略は基本的には「同じ」だと考えています。細かいバージョンアップは続き、新薬も次々に開発されていますが、パラダイムそのものを根底から変えるような変化は起きていません。HIV感染やエイズの診断、さらなる感染の予防、CD4細胞数を高め、HIVウイルス量を減らすための治療、合併症の予防や治療などざっくり大きなところは同じです。
その「変わらないところ」、コンセプトの部分を理解していただくために、アメリカでよく使われているテキストを訳出しました。本書のエッセンス「変わらないところ」をぜひ吸い取っていただき、さらに新たな知見も加え続け、HIV/AIDS診療にコミットしていただく方がひとりでも増えていただければ幸いです。
2015年9月 岩田健太郎
日本におけるHIV/AIDS
伴性遺伝する遺伝性疾患血友病はかつて平均余命4年未満の疾患だった。不足する凝固因子を補充するため、全血輸血ついで血漿輸血が行われたが、合併症が多く治療効果は小さかった。
そこで血漿を冷凍してから凝固因子の多く含まれる沈殿物を投与する治療が開発された。冷凍して沈殿させる、クリオ・プレシピテートである。しかし、「クリオ」は医療機関での長時間の点滴が必要であり、患者サイドからは使用しにくい薬だった。副作用も問題であった。
クリオの副作用の原因となる夾雑物を除去し、凝固因子の濃度を上げた濃縮製剤が開発され、自宅での注射が可能になった。血友病患者の余命は劇的に伸びて、「小児の病気」であった血友病患者の平均余命は40年を超えた。濃縮製剤の承認が1974年、自己注射が健康保険で認められるようになったのが1983年であった。
濃縮製剤は何千人という大量の献血者の血液を濃縮精製して作られる。よって血液由来の感染症のリスクが高い。すでにB型肝炎は血液由来の感染症として知られており、濃縮製剤はB型肝炎ウイルス感染のリスク因子であった。
これを克服すべく、アメリカではB型肝炎ウイルスを殺す加熱製剤が開発された。ただし、加熱によって因子活性は下る。当時日本では濃縮製剤の95%を海外からの輸入に頼っており、因子活性が低下した分を埋め合わせようとすると輸入量を激増せねばならなかった。すでに血液製剤の世界市場で大きな位置を占め批判されていた日本が、さらに輸入量を増やすのは容認されにくかった。
エイズがアメリカで発見されたのが1981年である。当初は男性同性愛者が罹患する疾患という認識であったが、同性愛のない血友病患者でのエイズも発見されていた。当時厚生省にいた郡司篤晃は1982年にこの事実を知ったと述べている。
1982年、アメリカ血友病財団は血液製剤によるエイズのリスクは高くないという理由から血友病患者の血液製剤による治療法を変えないよう勧告を出した。しかし、翌年の83年には一部の患者には(エイズ罹患のリスクが濃縮製剤より低いと考えられた)クリオ製剤を使うよう勧めている。また、アメリカの公衆衛生局はハイリスク患者の献血を自粛するように呼びかけるようになった。
日本では1983年6月にエイズ研究班が作られた。加熱製剤や濃縮製剤の輸入禁止は血友病患者の受けている利益とのバランスから反対されたという。第2回の研究班会議は同年7月に行われ、帝京大学の症例がエイズかと疑われたが確信はもたれなかった(実際にはこの時点で多くの患者が発生していたが)。
エイズは「症候群」であり、当時その原因は不明で、現象による疾患の同一性の証明は困難だった。同時期にアメリカのギャロとフランスのモンタニエが別々にエイズの原因たるウイルスを発見したと学術誌に発表していた(そして後に論争となる)が、当時はHIVという概念もなければ確定診断の方法もない。
日本の献血事業は日本赤十字社が独占的に行っていたが、血液濃縮製剤をつくるライセンスは持っていなかった。持っていたのはミドリ十字(当時)のような私的企業や公益法人の化血研であったが、献血された血液の企業への売却は「売血」とメディアに批判されていたこともあり、濃縮製剤の国内生産は困難であった。様々な理由のためにエイズ罹患回避の方法(国内での血液製剤生産、加熱製剤、クリオへの変換)は難航した。
1984年、ギャロは自身が見つけたウイルスがエイズの原因であると主張し、翌85年になって、ギャロとモンタニエがそれぞれエイズの原因と主張していたウイルスが同じものであることが判明した。国際的にも、この時期をもってエイズの原因がギャロ・モンタニエたちの見つけたウイルスであると承認されていく。
1985年に帝京大学病院で出血していた血友病患者に非加熱濃縮製剤が投与された。その後患者は死亡し、血友病の権威であった同院の安部英医師が業務上過失の容疑で起訴され、逮捕・勾留された。2001年に無罪判決となったがメディアは大きく報じることなく、安倍氏は世間からは「薬害エイズ事件における悪者」のイメージを残したまま2005年に逝去する。同様に厚生省にいた郡司篤晃などもメディアの厳しい攻撃にあった。厚生省にあったファイルを「隠蔽した」とされたからだ。1996年に厚生大臣になった菅直人はこのファイルの存在を受けて公式に謝罪を表明して男を上げる。この一件がなければ後に首相になることもなかっただろう。NHKの特集番組や櫻井よしこらジャーナリストたちの執拗な攻撃を受けてエイズは糾弾の道具となる。
HIV抗体が「HIV感染診断のツール」であるのは現在の常識であるが、当時それは常識とはなっていなかった。抗体陽性は多くの感染症(例えば麻疹)において「治癒証明」であり病原体が存在しない証なのだから。今の目から見ても安部や郡司を個人的に糾弾したり法的、社会的に糾弾・処罰するのは妥当とはいえない。もちろん、それは「今の目」だから言えるのであり、当時の状況ではそれは判定し得なかったのかもしれない。しかし、すでに誤謬と分かっている点を謝罪も訂正もしない櫻井達ジャーナリストの「今の目」は何を見ているのだろうか。謝罪も訂正もないまま、安部と郡司のプロとしての名誉は地に落ちたままである。
帝京大学での感染のすぐあとで、日本でも加熱製剤の使用が承認された。その後1988年に遺伝子組換え第VIII因子製剤が承認され、この時点で血友病患者のHIV感染リスクはほぼ消失した。
1986年に松本市でフィリピン人のHIV感染が確認され、翌87年には神戸で日本人女性のHIV感染が確認され、メディアが大挙して日本はパニックとなった。同87年、エイズ治療薬としてヌクレオシド・アナログAZTがアメリカで承認となり、抗ウイルス薬療法開発時代の夜明けとなるが、いまだエイズは「死に至る病」であった。
余談だが、AZTは日本の満屋裕明らがHIVに対する効果を確認した。が、特許の問題などでこの問題は現在も論争の中にあり、国際的にはコンセンサスが得られていない。AZTは現在ファーストラインで用いられるARVではなく、その歴史的な役割を終えつつある。しかし、ARTの嚆矢となった医薬品で歴史的な価値は非常に大きい。また、満屋は他のARV、とくにPIでもっとも臨床的価値が高い(執筆時点)ダルナビル開発にも寄与しており、HIV/AIDS診療・研究への貢献度が高い事実に変わりはない。
1989年、血友病患者でエイズ罹患した患者遺族が国と製薬業界を相手取った訴訟を起こす。濃縮製剤による感染に対する損害賠償請求であった。この民事裁判は1995年に結審、1999年に和解が成立する。和解後の原告の要求は以下のようなものであった。
薬害HIV訴訟和解後の原告要求
1. 遺族に関する要求
追悼式、薬害根絶の碑建立、資料館建設、相談事業、遺族年金
2. 医療に関する要求
エイズセンター~拠点病院制度(病床確保、全科対応の専門医療、病院間
の連携、カウンセリング)、治療薬の早期承認、検査体制の充実、医療実態
調査、保険制度の改善、研究体制、情報提供、国際協力
3. 手当に関する要求
健康管理費用、身体障害者手帳・障害年金制度
4. 薬害被害実態調査
血液凝固因子障害の調査
5. 真相究明・薬害根絶に関する要求
医薬局体制、医薬情報の公開
6. 血液行政の是正に関する要求
血液新法
7. 偏見差別の解消に関する要求
エイズ予防法の廃止と感染症新法
これを受けて、1989年から制定された「エイズ予防法」は患者のプライバシー侵害や偏見を助長しているという批判をうけ廃止。1999年のいわゆる「感染症法」にまとめられて4類感染症となった。
1998年からHIV感染者は「免疫機能障害」として一定の基準を満たせば1~4級の身体障害者手帳が取得可能になった。このしくみを活用し、感染者は自立支援医療費助成、重度心身障害者医療費助成、障害年金の助成が得られる。これは薬害エイズ訴訟の和解時になされた「恒久対策」の一環であるが、当時から身体障害者福祉法の理念と噛み合わないという異論もあった。とはいえ、生涯に1億円とも言われるHIV/AIDS診療費を制度的にカバーできるのは評価できる点ではあった。この制度がなければ多くの患者は治療の恩恵をうけることができなかったであろう。
90年台から各地でエイズ拠点病院が作られるようになり、政策制度としてエイズ診療の仕組みが構造化され、後に拠点病院を統括するブロック拠点病院もできるようにななった。90年代後半からはART(HAART)によって患者の予後は劇的に改善し、現在に至っている。
しかし、このような拠点病院化は国立国際医療研究センターACC(東京)や大阪医療センターHIV/AIDS先端医療開発センター(大阪)といった一部の有名病院に患者が殺到する事態を招く。患者の殺到は医療の質にも影響しかねない。逆に、拠点病院のなかにはHIV診療経験のほとんどない病院も存在し、そうした診療経験に乏しい施設では実質上診療を拒否している所すらあると聞く。また、拠点病院外で質の高いHIV/AIDS診療をしている医療機関もあるが、既存の拠点病院が存在するために(この病院のHIV/AIDS診療の質のいかんにかかわらず)拠点病院指定を受けることができない。患者紹介は拠点病院のデータベースを中心に行われるから、質の高い診療医によるHIV/AIDS診療が結果的に阻害されてしまう。
ARTによるエイズ予後改善は、HIV/AIDS患者の高齢化とそれにまつわる合併症の増大を意味している。HIVとは直接関係ない糖尿病や高血圧、その合併症たる心血管系疾患に罹患し、非エイズ関連の悪性疾患に罹患し、歯科診療を要し、血液透析を要する。しかし、秋葉らによると日本の透析医療のほとんどがHIV感染者を受け入れていないという。「HIV専用ベッドが確保できない」というのがその理由だそうだが、そのような特殊なベッドが必要ないのは自明なことだ。拠点病院の拡充は「HIV患者の行く先」を規定するのに役だったが、皮肉にも「他には行けない」障壁にもなってしまったのだ。拠点病院が全ての非HIV関連の医療を賄えないことは言うまでもない。
近年になって身体障害者手帳のシステムは過去になかった別の問題を生んでいる。制度は免疫抑制が進行し、患者が重症化するほど障害者手帳の等級が上がり、より手厚いサポートを提供する。しかし、近年ではART開始の時期は早期化する傾向にある。治療薬の進歩により、服薬が容易になり副作用のデメリットが軽減したためだ。本稿執筆時点では、CD4数が500以上で治療を開始したほうが、治療を遅らせるよりも各種臨床アウトカムが改善することがランダム化比較試験で示されている。それなのに、日本では治療開始を早めようとすると手帳の等級が下がるために患者のサポートが目減りする。「もうすこしCD4が下がってよい手帳をとれるまで治療を待ってほしい」といった本末転倒が起きてしまう。
このため、私はHIV/AIDSにおける身体障害者福祉法による支援は終了すべきと考えている。既得権の問題もあろうから、現行の手帳保持者はそのままでもよいかもしれない。しかし、今後診断される患者については異なる制度に移行すべきだ。一番実効性が高いのは難病指定だと思う。2014年に指定難病は110疾患に増やされた。こちらであれば最新のエビデンスに基づいた診療を提供でき、重症化を看過する必要もない。細胞性免疫低下がそもそも身体障害と噛み合わない、という矛盾も解消できる。感染症は原則難病指定の範囲外であるが、「一般的に知られた感染症状と異なる発症形態を示し、症状が出現する機序が未解明なものなどについては、個別に検討を行う」(傍点筆者)とあり、HTLV-1感染などの前例もある。
また、従来の拠点病院制度は薬害救済条件として歴史的な意義は認めるが、上記のように弊害のほうが大きくなりつつある。拠点病院スタッフを対象とした会議や研修も、インターネット全盛の現在となっては学習効果はそれほどでもない。私自身は拠点病院を対象とした研修会で目新しい「エビデンス」を得ることはほとんどない。いや、近年は利益相反の面から、製薬業界の意見を強く反映した発表も散見され、むしろカウンタープロダクティブなのではないか、と懸念されることすら、ある。
本書をご覧いただければ分かるようにHIV/AIDS診療は長足の進歩を遂げている。しかし、特にアメリカと日本に特徴的だが、開発される新薬にすぐに飛びつく良くない傾向があると私は考える。本書に掲載したPaul Saxのブログにあるように、アメリカではどんどん新薬への移行が進み、DHHSガイドラインではこれまで主役級だったエファビレンツが第一推奨薬から外されている。しかし、HIV/AIDSの高度化、先進化は、高額化とほぼ同義でもある。年間40兆を超える日本の医療費で、高額化を続ける、そして生涯継続されるであろうHIV/AIDS診療をどう考えるか、より大きな視野からグランドデザインを構築する必要がある。上記制度のおかげで日本の患者は懐に痛みをあまり感じなくて済んでいるが、だからこそ問題を先送りにし続けて後で取り返しがつかないという事態に陥らぬよう、今の世代の我々が将来の世代にも配慮すべきだ。
日本ではテビケイ(ドルテグラビル)1錠(1日量)は3262.60円、ストックリン(エファビレンツ)600mg錠(やはり1日量)が1916.90円だ。ジェネリックが入ればもっと安価になる。ARTは毎日飲まねばならない。一生飲まねばならない(今のところ)。1日1000円以上の違いは、月に3万円以上の違いとなり、年間30万円以上の違いとなる。仮に1万人のHIV/AIDS患者がストックリンからテビケイに切り替えるだけで、年間30億円の医療費の違いを生み出す。そういう視点が全てではない。しかし、そういう視点も無視してはならない。
最近になって、「昔の」薬の再構築も試みられている。例えば、アタザナビル・リトナビルにラミブジンを用いるという「dual therapy (2剤)」が3剤と非劣勢であった、あるいはロピナビル/リトナビルとラミブジンの「2剤」で3剤と非劣勢であったという臨床試験が発表されている。本来、非劣性試験はより安価、より安全な薬で先行治療との「非劣性」を吟味するために開発された試験なので、本来の目的に合致した知見である。2剤であれば安全性や経済面での寄与も大きい。本稿執筆時点で2剤治療を推奨するものではもちろんないが、将来的にこのような視点での臨床研究も大切になってくるだろう。
拠点病院制度を廃止しても、診療の質は下がらない。むしろ形骸化した「なんちゃって」な病院に患者が流れる悲劇も、質の高い診療を提供しているのに拠点病院でないがゆえに患者がアクセスしない悲劇も解消されよう。透析や歯科診療へのコミットメントも高まり、「HIV/AIDS診療は全ての医療者の課題である(拠点病院におまかせ、ではない)」という共通認識も生まれよう。
保険診療上の齟齬も改善すべきだ。この問題はかなりよくなってきたが、例えば未だに急性HIV感染時のHIV PCR検査は保険収載がない。PCRが必要なのは1990年代からわかっており、もう何十年も前からの「常識」である。行政上のこのような硬直性が医療現場における妥当なプラクティスを阻害している。
これまで述べてきたように、日本におけるHIV/AIDSは特殊な事情と歴史を持つ。しかし、諸外国においてもこの疾患は医学的に社会的に困難な歴史抜きでは語れない疾患であった。それを冷静に振り返り、反省/改善すべき点を模索、統括するのも今後の課題である。
「薬害エイズ」に見られるように、医学の不確定性や進歩の過程を無視したままで、医療事故が個人の不注意や悪意に帰せられたのは日本医学史上の不幸である。しかし、もっと不幸なのはこのような「個人糾弾型」の負の歴史が今現在も継続されている点である。最近でも誤投与という医療事故に関与した研修医が執行猶予付きの禁錮刑を課さられるという事件が起きた。2015年の現在に至っても、「個人糾弾型」の社会構造は変わっていない。エイズの悲劇からなにも学習していない。
輸血関連感染症の原因として大きな位置を占めたC型肝炎ウイルスが発見されたのは1989年。私が医学生になる前年である。その治療は近年長足の進歩を見せている。一般に性感染症の根絶は困難であるが、C型肝炎の性行為による感染は比較的少ない。治療の進歩により、この感染症が近い将来根絶される可能性も十分にあると思う。
一方、HIV/AIDSの根絶はまだ現実味に乏しい遠い未来の目標である。今後の日本でHIV/AIDSをどう診療していくか、未来のビジョンを模索するときに、避けては通れない「わが国の事情」についてここでは考察した。
参考文献
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磐井静江、小西加保留。HIV感染者の身体障害者認定の経緯とICIDH-2への期待 リハビリテーション研究. 1996 http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/rehab/r096/r0960006.html
高田昇 中国四国ブロックにおけるHIV 感染症の医療体制に関する研究 www.aids-chushi.or.jp/care/aids_houkoku/01/0803/s3years.pdf
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坂根みち子. 「医療従事者を守ろう」-ウログラフィン誤投与事件の責任は病院にあり- 2015年7月17日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
本日(11/01)Amazonより入手できました。読みやすく、ありがたいです。訳注、日本の状況についてのご見解も勉強になります。今後ともよろしくご指導下さい。
投稿情報: Masaaki Shimomura | 2015/11/01 17:54