肺炎球菌とインフルエンザ菌という重大な髄膜炎起因菌には効果的なワクチンが存在する。日本でこれが普及すれば、本疾患はまれなものとなり、治療についていちいち悩まないでよい状況になるかもしれない。なるといいな。
細菌性髄膜炎については診療ガイドラインが存在する(細菌性髄膜炎診療ガイドライン2014 http://www.neuroinfection.jp/pdf/guideline101.pdf 閲覧日 2015年6月29日)。これによると、日本では年間1,500例程度の髄膜炎が発生しており、そのうち7割は小児であるとされる。B群溶連菌の髄膜炎は日本ではまだ多く、特に生後7日以降に発症するlate onset disease, LODが多い。また、妊婦のGBSスクリーニングでGBS感染症が減ると相対的に増えるとされる大腸菌も原因菌として重要だ。
その後、年齢が上がっていくと肺炎球菌やインフルエンザ菌が原因となりやすくなる。まれに髄膜炎菌も原因となるが日本ではまれである。免疫抑制者(妊婦や高齢者、免疫抑制薬やTNF-α阻害薬を使用する患者,HIV感染者など)ではリステリアも重要だ。
小児の髄膜炎については小児感染症専門家が本ガイドライン作成に参加しており、専門性のより低い私がコメントできることはほとんどない。最小阻止濃度(MIC)や耐性遺伝子の扱いなど、考えるべきところはあるが、ここでは述べない。あと、術後の院内感染は全く「別の病気」と考えているので、それもここでは述べない。
さて、例によってこういうガイドラインは「とりあえず、カルバペネム」である。以下のような記載がガイドラインにある。
米国感染症学会ガイドラインでは、2~50歳未満の第1選択として、「第3世代セフェム抗菌薬(CTXまたはCTRX)+VCM」が推奨されている。この初期選択は、抗菌薬のスペクトラムとしては十分である。しかし、米国のようにVCMが生後1ヶ月以後の全年齢で推奨され、その使用が広く増加した場合、VCM耐性菌の出現頻度が上昇することが予測され、この状況をできる限り抑制したいとの考えに立脚し、今回はカルバペネム系抗菌薬を第1選択として推奨した。
ちょっと待ってくれと言いたい。バンコマイシンの耐性菌が懸念されることを根拠にバンコを使わないという選択肢を取るなら、同様の根拠でカルバペネムを使うことによるカルバペネム耐性菌の懸念は持たねばならない。あるロジックを1つの薬にアプライするのなら、他の薬にも同様のロジックをアプライするのは当然である。
JANISのデータを見れば、すでに5%弱の肺炎球菌はカルバペネム耐性である(http://www.nih-janis.jp/report/open_report/2013/3/1/ken_Open_Report_201300.pdf)。バンコマイシン耐性菌は日本における懸念であるが、カルバペネム耐性菌は今そこにある危機だ。カルバペネム耐性インフルエンザ菌も、まれながらあり得ない存在ではない。私は一度、カルバペネム耐性インフルエンザ菌による髄膜炎で苦い思いをしたことがある。
それに、抗菌薬はターゲットとする菌にのみ作用するわけではない。日本ではカルバペネム耐性緑膿菌(MDRP含む)は珍しくないし、抗菌薬適正使用プログラムがきちんと機能していない病院ではとくに多い。カルバペネムの使用を減らせば、耐性緑膿菌が減るのはよく観察されるところだ。カルバペネム耐性アシネトバクターも、腸内細菌も、日本であっても、もはや稀有な存在ではなくなりつつある(当初のニュース性はすでにない)。いまだに「日本はとりあえずカルバペネム」という論調があるが、もうさすがに止めるべきだ。
さて、アメリカにバンコマイシン耐性菌が多いのは事実だ。具体的には腸球菌で(VRE)である。バンコマイシン耐性の黄色ブドウ球菌はVISAにしてもVRSAにしても日米ともにまれな存在だ。
しかし、なぜアメリカでVREが多いのか、私にとっては長年の謎である。
バンコマイシン使用による抗菌薬の選択圧「だけ」がその回答ではないと私は思っている。バンコマイシンは分子量が大きく、点滴使用しても腸管にはほとんど至らないからだ。腸球菌は腸内にいるのである。バンコマイシンに選択圧力がかかるとすれば、注射薬ではなく、経口のバンコマイシン散でなければ理屈が通らない。
日本では90年代前後に「MRSA腸炎」という術後の腸炎が流行し問題となった。私達がおこなったシステマティック・レビューが示唆するのは、このMRSA腸炎のほとんどはClostridium difficile 感染症(CDI)の誤診であったであろう、ということだ(Iwata K et al. A systematic review for pursuing the presence of antibiotic associated enterocolitis caused by methicillin resistant Staphylococcus aureus. BMC Infect Dis. 2014;14:247)。
岩田は抗菌薬関連下痢症としてのMRSA腸炎の存在そのものを否定はしない。そもそも非存在証明は極めて困難である。しかし、術後に経口3世代セフェム1週間といったプラクティスが横行する中で、日本でだけ限定的に流行した現象が「MRSA腸炎」であった可能性よりも、培養が難しく見逃され続けたCDIであった可能性のほうがずっと蓋然性が高い。大多数はそういうことだったのだろう。そして、近年では術後経口3世代セフェムというプラクティスは廃れ(まだやってませんよね)、MRSA腸炎、、、という名のCDIそのものも(術後のそれとしては)減った。CDIのリスクが高いのがクリンダマイシン、キノロン、3世代セフェムだから、当然だ。
MRSA腸炎と誤診されたがゆえに、その治療には経口バンコマイシン散が用いられる。これはCDIの治療薬でもあるから、患者は現象として治る。MRSAも消える。よって「MRSA腸炎が治った」と誤解される。日本では、こういう誤謬はわりと起きやすい。
アメリカでは長くCDI治療のファーストラインはメトロニダゾールであった。最近でこそ重症例などにはバンコマイシンを用いるが、それでも軽症例にはやはりメトロニダゾールがファーストチョイスだ。
つまり、腸管内にいる腸球菌に対するバンコマイシンの選択圧力は、むしろ日本のほうが大きかったのではないか、と私は思うのだ。これは確定されたものではないが、この理路をロジカルに論破されたことはまだない。そういえば、日本ではCDI治療にメトロニダゾールは保険適応が長くなかった。CDIに対しても今でもバンコマイシン散が先に用いられることが多い。高いのに。
VREはアメリカに多い。なぜ多いのかは、私にはまだよく分からない。なぜ日本には少ないのかも、よく分からない。ただ、バンコマイシンの使用のみでその現象を説明するのは上記のように無理がある。
家畜におけるアボパルシン(グリコペプチド)の使用など、耐性菌出現の原因は多様である。もっともアメリカではアボパルシンは使われておらず、家畜におけるVREも2008年まで発見されてこなかった(Nilsson O. Vancomycin resistant enterococci in farm animals – occurrence and importance. Infect Ecol Epidemiol [Internet]. 2012 Apr 19 [cited 2015 Jun 29];2. Available from: http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3426332/)。1980年代、最初のVRE感染が報告されたのはアボパルシンが使用されていたヨーロッパだった(Vancomycin-Resistant Enterococci (VRE) Overview [Internet]. [cited 2015 Jun 29]. Available from: http://www.niaid.nih.gov/topics/antimicrobialresistance/examples/vre/Pages/overview.aspx)。輸出食物の問題もあるが、これだけでもアメリカのVREは説明しにくい。
感染症という現象はたいてい複雑な現象で、シンプルな単一原因論は、多くの場合間違っている。アメリカの場合も、バンコマイシンの寄与がゼロだったとは言わないが、むしろキャリアの発見が遅れて伝播の広がりを許容してしまったなど、複数の原因があったことが推測されている(Martone WJ. Spread of vancomycin-resistant enterococci: why did it happen in the United States? Infect Control Hosp Epidemiol. 1998 Aug;19(8):539–45.)。同じことが起きれば、(選択培地を用いず)VREを見逃しつづけていれば、日本でも同じことが起きかねない(Matsushima A et al. Regional spread and control of vancomycin-resistant Enterococcus faecium and Enterococcus faecalis in Kyoto, Japan. Eur J Clin Microbiol Infect Dis. 2012 Jun;31(6):1095–100)。
SARSが中国で流行り、エボラがアメリカで院内感染し、MERSが韓国で少流行したとき、なぜ同じことが日本で起きなかったか、いろいろな人に訊かれた。私の答えは「日本がラッキーだったから」である。そんなバカな、と思う医療者は、外来の熱発患者にいつも海外渡航歴を問うているか、思い出してほしい。非医療者は自分が風邪をひいたりして医者にかかったとき、海外渡航歴を問われたかどうか思い出してほしい。日本にSARSやエボラやMERSやその他の海外の感染症が入ってきて、医療機関がそれに気づかない可能性は、わりと高い。
よって、私の髄膜炎診療は、臨床実績の高いバンコマイシンとセフェムの併用なのである。リステリアを疑えばアンピシリンを足すのである。
むしろ、経口セフェムの乱用を減らし、いざというときの髄膜炎診療に支障が来ないようにするのが感染症のプロとしてのまっとうな筋道だと思っている。カルバペネムは髄膜炎診療のファーストチョイスにはなりえないのだ。
本ガイドラインではパニペネム(カルベニン)が臨床データを欠くと認めていながら、それを推奨薬に含めている。しかもメロペネムを含む、他の薬よりも上位に置いている。奇妙なロジックだ。普通は「臨床データを欠く」という事実は推奨度が下がる結果に導かれるはずなのに。
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