シリーズ 外科医のための感染症 コラム 「エビデンスないんでしょ」「いや、エビデンスは常にある」
EBM(evidence based medicine)という言葉はすでに人口に膾炙し、EBMという言葉を知らない人はほとんどいなくなりました。
ただ、未だに「アンチEBM」の人は多いですね。
「アンチEBM」よりも、もっと厄介なのは「エビデンス」という言葉を「武器化」してしまう人たちです。
例えば、Aという抗菌薬を使ってはどうでしょう、とか何日間治療しましょうか、という話をした時に、「そんなのエビデンスあるんですか」という感じで反論されるパターンです。非常にまれではありますが、「エビデンスないんでしょ」を「お前のいうことは聞かないよ」という一種の「脅し文句」として使っている先生もおいでです。
残念な話ですが、「エビデンスないんでしょ」とか「エビデンスあるんですか」とおっしゃる先生がたは、ある意味「アンチEBM」派の先生たちよりもEBMを理解していない、と言わざるをえません。なぜなら、エビデンスは「ある」「ない」といった議論をするものではないからです。いや、エビデンスは「常にある」のです。
ときどき、EBMのことをランダム化比較試験(RCT)と同義だと勘違いしていらっしゃる先生がいます。「ランダム化試験がないんだから、先生の言ってることにはエビデンス、ないんでしょ」みたいな「すごみ方」をされるのです。
EBMのパイオニア、デビッド・サケット医師は、エビデンス・ベイスドな診療を、「良心的かつ実直で、慎重な態度を用い、現段階で最良のエビデンスを用いて個々の患者のケアにおいて意思決定を行うこと。それは個々の臨床的な専門性と、系統だった検索で見つけた最良の入手可能な外的臨床エビデンスの統合を意味している」と定義しています。
「最良の入手可能な外的臨床エビデンス (the best available external clinical evidence)」というのがキモです。Best available、、、、手に入るかぎり、もっともよいものを活用して、個々の臨床医の専門能力と組み合わせて意思決定するのです。
感染性心内膜炎の手術適応には複数ありますが、その中で「心内膿瘍形成」があります。診療ガイドラインにも載っているこの適応ですが、ぼくの感染症の師匠、ダナ・ミルドバンによると、これは彼女が書いた1例ものの症例報告によって得られた適応なんだそうです(Mildvan D et al. Diagnosis and successful management of septal myocardial abscess: a complication of bacterial endocarditis. Am J Med Sci. 1977 Dec;274(3):311–6)。
1例ものの症例報告は、「エビデンス」としては強固ではありません。しかし、心臓の中に膿がたまったらさすがにオペは必要でしょう、という我々の「常識」とか「経験知」は存在します。まれな心内膿瘍患者のRCTを行うのは困難、という「現実的な制約」もあります。この手術適応が30年以上たった今もひっくり返されていない、という「歴史の重み」もあります。ガイドラインの推奨通り早期手術をすると、患者の予後は改善する、というRCTはあり(Kang D-H et al. Early Surgery versus Conventional Treatment for Infective Endocarditis. New England Journal of Medicine. 2012;366(26):2466–73.)、これは膿瘍形成のある心内膜炎はオペをした方がよかろう、という「状況証拠(エビデンス)」になっています。
敗血症に抗菌薬を使う、というのはランダム化比較試験による「エビデンス」が得られたわけではありません。しかし、抗菌薬が敗血症患者の命を何十年も救ってきたのは明々白々の事実です。このような露骨な効果がはっきりしている場合は、むしろ比較試験をするのが倫理的には不適切です。パラシュートをして飛び降りる群としない群で空から飛び降りる比較試験が存在しえないのも、空から飛び降りるときのパラシュートの効果が明々白々だからです。
したがって、(質の高い)診療ガイドラインを読んでいると、「エビデンスレベル」と「推奨レベル」は区別されて、二段構えに書かれています。たとえエビデンスの質がそんなに高くなくても、エキスパートの経験や「常識」に照らし合わせれば、推奨度は高くなるのです。これこそ、サケットのいう「臨床的な専門性とエビデンスの統合」というものでしょう。
抗菌薬の選択や投与量や投与間隔、投与期間など、感染症の領域には確固たるRCTが存在しないことは多いです。病原体も感染症も抗菌薬も種類がとても多いので、全ての項目においてRCTを組むのは現実的ではないからです。しかし、それは「エビデンスがない」という意味では決してありません。微生物学や薬理学、臨床的な経験や学知、あれやこれやの手持ちのリソースを最大限活かし、「The best available evidence 」を臨床的な専門性と組み合わせて、「今ある中での最良の解」を模索しているのです。「エビデンスがない」のではなく、「ここまでのエビデンスはある」なのです。
例えば、膿瘍性疾患。肝膿瘍などをドレナージし、抗菌薬を数日行くと熱は下がり、CRPは下がります。ここで抗菌薬をオフにして退院になってしまう事例は多いです。しかし、ぼくらが肝膿瘍を診るときは必ず最低4週間の抗菌薬投与を推奨します。それは、病原微生物を殺し尽くすのに必要な抗菌薬投与日数という微生物学的、薬理学的知見に基づいていますし、CRPが下がっても細菌は生きており、これを放っておくと再発のリスクが高いという「理論」に基づいていますし、そうやって抗菌薬をオフにされて数週間後、数か月後に膿瘍再発という「イタい」事例をたくさん診てきたという「経験知」に基づいていますし、感染症の教科書にもそのように記載があるという「権威と歴史」にも基づいています。それはRCTで得られてはいないものの、手持ちの情報を全て活用した「The best available evidence」に他ならないのです。
メスを持つ角度、糸を結ぶときの指の力、鈎引きの引き具合など、手術にまつわる「エビデンスのない」領域はたくさんあることと存じます。しかしそれは「上手なメスの使い方」「上手な糸結び」が存在しないことを意味しません。上級医が「糸はもっとこういうふうに結ぶんだ」と教えたとき、研修医が「そんなのエビデンスありませんよ」と言ったらどうでしょう。ぶん殴りたくなりませんか?ぼくなら、足くらい蹴っ飛ばします。
繰り返します。エビデンスとはRCTのことではなく、「ある」「ない」とまっ二つに分断するような概念でもありません。ぼくらにとって大事なのは自分のもつ専門性と最新の医療情報を駆使して、「患者にベストを尽くすこと」に他なりません。そして、サケットの精神を尊重するのであれば、EBMにおけるエビデンスは「常にある」のです。
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