シリーズ 外科医のための感染症 1 なぜ外科医のための感染症なのか
さて、このシリーズは「外科医のための感染症」と銘打っています。なぜ、このようなシリーズを始めるに至ったのでしょう。
それは、かつてないほどのスピードで医学・医療が進歩しているからです。
1950年時点で、医学知識が倍になるには50年かかっていました(doubling time)。1980年にはこれが7年になり、2010年には3.5年になっています。2020年には、なんとたったの73日で医学知識は倍になると見積もられています(Densen P. Challenges and Opportunities Facing Medical Education. Trans Am Clin Climatol Assoc. 2011;122:48–58.)。
我々はDr. コトーのような「何でもできる」医者に憧れますが、どんなに博覧強記の天才的な頭脳を持っていても、メフィストフェレスに魂を売り渡しても、すべての領域において医学知識を最新の状態にキープしておくことは原理的に不可能な時代なのです。
外科領域も近年は細分化が進んでいます。例えば、整形外科は、「膝の」グループ、「脊椎」のグループ、「肩の」グループというように。それぞれのパーツにおける医学進歩も目覚ましく、最新の医学知識、医療技術についていくのは簡単ではありません。そしてそれは今後どんどん難しくなっていくでしょう。
かつて、医局制度が良くも悪くも充実していたときは、医局の内部で医療はすべて完結していました。外科医は手術はもちろん、周術期の栄養管理や血糖、血圧コントロール、感染症の予防や治療、疼痛管理などすべて自分たちで行い、術後の化学療法も全部自分たちでやっていました。薬を詰めることすら医者の仕事だったのです。
しかしながら、外科領域のそれぞれの専門領域が進歩したのと同じように、各セクションの専門性も飛躍的に進歩しました。患者ケアの質の向上も目覚ましく、医療面接にたっぷり時間をとり、膨大な書類やカルテの記載もかつてないほど大変です。おまけに最近はワークライフバランスにまで配慮して、若手医師の外科離れを食い止めなければなりません。「全部自分で完結する」医療は、もはやできない相談なのです。
とはいえ、現在ではそういう外科の先生たちをサポートするチームも少しずつ充実してきています。人工呼吸器調節や栄養管理、化学療法や感染症治療の専門家たちが、最新のノウハウを勉強し、外科の先生たちを支援します。薬剤師さんの現場参加もだんだん進んできており、我々の診療を支援してくれています。外科の先生たちが好きな手術に邁進し、集中できるよう、ぼくらは一所懸命「手術以外のこと」をサポートするのです。献身と専門性を持って。
「お前さんは内科医だろ。内科医が外科の患者のことがワカンのか?」そういう御指摘もあるかもしれません。
もちろん、分かります。
ぼくは沖縄県立中部病院で研修医をしていたとき、たくさんのことを外科ローテートから学びました。中部病院はコテコテの野戦病院で、外科系の病院でした。
もちろん、各科数ヶ月に過ぎないローテートで外科医になるノウハウや技術が身に付くわけはありません。しかし、短期間ながらも集中的なトレーニングのおかげで、外科医のメンタリティーや大切にしている価値観、思考プロセスや「踏んではならない地雷」みたいなものはたくさん学ぶことができました。そういう意味では、スーパーローテートって本当によい仕組みです。
ぼくはアメリカで感染症のトレーニングを受けましたが、アメリカでは内科医か小児科医しか感染症専門医にはなれません。彼等の研修はストレート研修で外科系の研修を受けませんから、外科医のメンタリティーをあまり理解していないことが多かったです。ぼくは日本の中部病院で初期研修を受けて本当によかったと思ったものです。
逆に、うちの科(感染症内科)を数ヶ月まわった先生がたは、感染症屋のメンタリティーをしっかりと理解して、自分の科に帰ったときのプラクティスに活かされています。ハリソン内科学で一番ページを割いているのは心臓でも消化器でもなく感染症です。その膨大な習得領域をほんの数ヶ月の訓練でマスターするのはもちろん不可能です。しかし、数ヶ月で得ることがたくさんあるのもまた事実。まったく経験のない「ゼロ」と「ある」の差は極めて大きいのです。
確かにぼくは内科医ですが、外科の患者さんの術後感染症について言うならば、たいていの外科の先生よりもたくさんの知識と経験値を持っています。
それは、例えて言うならば、F1レーサーとサーキットの救助隊に例えられるかもしれません。
外科の先生は例えて言うなら、F1レーサーです。サーキットにおいて速く運転することにかけては、抜群の知識と技術を持っており、それは他の追随を全く許しません。
しかし、運悪く交通事故が起きたとき、その後の対応方法についてはレーサーは必ずしもエキスパートとは言えません。「そういう訓練」をあまり受けていませんし、個々のレーサーにとって、事故はしょっちゅう経験するものではないからです。
しかし、サーキットの救助隊はF1事故に特化した専門性を持ち、そのための訓練も受けています。経験値もずっと高いです。だから、レーサーよりも事故後の対応については上手に処理するのです。
ぼくら感染症屋は手術の知識や技術は全然持ち合わせていません。当たり前です。しかし、術後の感染症コンサルテーションは毎日のように受けており、それを病院のすべての病棟で見ています。実際、ぼくらが見ている患者さんの半分以上は外科の患者さんなのです。ぼくら以上に術後の感染症を経験している外科医は存在しません。「いやいや、おれが執刀すると感染症必発だから、おれのほうが経験値は高いね」なんていう奇特な先生にはまだお目にかかったことがありません。
神戸大学病院においては、ぼくらは外科系の先生が術後の感染管理などに煩わされることがないよう、いつもお手伝いしています。培養検査やCTだけ見て「なんとかマイシン出したらどうでしょ」なんて中途半端なサービスはいたしません。ちゃんと患者を診察し、治療がうまくいくめどが立つまで数日、ときには数週間、診療を継続します。僕らの目標は患者さんがよくなることであり、外科の先生が好きなオペに邁進していただくことです。チーム医療の要諦は、「皆が同じ目的のために、同じ方向を向いていること」ですから、複数の職種が集まっているだけではチーム医療とは言えません。
しかしながら、日本感染症学会認定専門医の数は千人ちょっと。日本の病院数の半分にも達していません。兵庫県はもちろん、県外からも「専門家を紹介してほしい」という依頼を受けており、パートタイムの医師派遣などそれなりのお手伝いはしていますが、需要と供給のバランスはまったく取れていないのが現状です。
そこで、このシリーズでは院内に感染症のプロがおらず、気軽に相談できる人もいない、という現場の先生がたのために、できるだけ分かりやすく、手早く感染症診療の基本みたいなところをお伝えするために用意しました。たしかに感染症領域はややこしいのですが、例えば発熱時の対応や抗菌薬選択の「基準」など、基本的なところを抑えておくと患者マネジメントの質は飛躍的に改善します。ここでも「ゼロ」と「ゼロではない」には天と地ほどの差があるのです。
本シリーズが、少しでも先生がたが「オペに邁進できる」環境作りに役立ち、術後の感染症が減ったり「さくっと治ったり」してくれれば、これ以上の幸いはありません。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。