代表翻訳者の森先生に献本いただいた。御礼申し上げます。
本書は、医学生の「学び方」の本である。手取り足取り、なんと試験対策のやり方まで共感に教えてもらえる、という親切さである。
著者のいるロンドン大学すべて(あるいはイギリスの教育すべて)について知っているわけではないが、ぼくが通信教育を受けた印象から言うと、イギリスの教育はアメリカの教育のそれに比べて「ほったらかし」である。ただし、学生の方から問いをたてれば、「手取り足取り」教えてくれる。それこそ、試験対策の方法まで。
「学び方」に悩んでいる学生には本書は参考になると思う。本書の面白いところは、「これが正しい学び方」という解答を提言しておらず、学生のし好やキャラに合わせて「あなたにだったら」とテイラーメイドの提案をしているところである。例えば、グループ学習でもその長所と欠点をちゃんと列記して、グループ学習への中腰な誘いができている。日本ではどの教育手法も、吟味、中腰が足りず、「とりあえず(形だけでも)やる」となってしまい、それでうまくいかないことが多いと思う。
日本の医学教育は30年遅れている、と冒頭にある。それは、その通りである。
でも、本書を読んで分かるのは、むしろ「むこう」の医学生も日本の医学生と似たようなことで悩んでいるんだな、ということである。「グループワークは苦手」とか「試験であがっちゃう」とか。ぼくが本書を読んで感じたのは、「あっちはこんなにすごいのか」ではなく、「どこも学生はおんなじだな」であった。よく、ぼくらは「アメリカの医学生は死ぬほど勉強してるぞ。部活もバイトも考えられない」と脅しをかけられるが、145ページを見る限り(それは「理想的なモデル」であるが)、そうでもない。ぼくもむかーしイギリスの大学に1年いたが、彼等は勉強とライフをうまくバランスとっていたように記憶している。外国事情を語るときは「違い」に目が行きがちだが、「共通性」に焦点を当てるのも、レヴィ=ストロース以降の大切な知性の使い方だ。
ぶっちゃけ、本書のような学び方を工夫している、あるいはそれ以上の工夫をしている日本の医学生も多い。日本には「ドラゴン桜」のような日本独特の「学び方マニュアル」もあるし。病気が見えるとか、イヤーノートもその「工夫」の一表現型である。ぼくはイヤーノートも病気が見えるも否定しない。それだけにすがりさえしなければ。まあ、そういう「小手先のスキル」においては日本の医学生は全然遅れていない。
むしろ、問題なのは「何のために自分が学んでいるのか」というビジョンを明確にたてられていないところにある。だから、あんなに勉強したのに、ベッドサイドでは全然無力なのである。
でも、本当にビジョンを欠いているのはむしろ教え手の方だ。何のためにそれを教えているのか、どこまで自覚的なんだろうか。自分の知的興味を披露して自己満足になっている教員のなんと多いことか。
学生は(そんなに)遅れていない。30年遅れているのは、教員の方である。実に、絶望的に遅れているのである。2023年問題で黒船がやってくる、「だから」変革しなければならない、、、と言っている時点で、そのビジョンの欠如は致命的に深刻なのである。
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