本書はビタミンの専門家によって書かれた、いや、「脚気紛争」専門家と呼んでもよいだろう、によって書かれた非常に面白い本だ。このトピックについてはいろいろ読んできたが、本書が資料としては最高級であり、非常に網羅的、かつ読みごたえがある。当時のデータもたくさんでていて、勉強にもなる。「鴎外小倉左遷の理由」など、サイドストーリーにページ数割きすぎなところもあるが、それもマニアックな「専門家」の努力の結実なのだから、さらっと流してよいと思う。
内容(コンテンツ)には全然異論はない。しかし、結論には大いに異論がある。すなわち、「鴎外は悪くなかった」である。「森林太郎が脚気問題について言われている非難の多くは筋ちがいの非難である」(449ページ)とは、ぼくは思わない。
確かに、高木兼寛はビタミンの存在も知らなかったし、麦飯の「学理」も間違っていた。しかし、それは高木が帰納法を用いたからである。臨床データはある。が、理論はよく分からない。でも、データがそこにあるんだから、それでいいじゃん、というEBMに慣れた臨床屋にはとても分かりやすい理屈である。
森はそれを嫌った。臨床データはある。しかし、「学理」がない。演繹法的には納得いかない。だから、「全否定」なのである。これは、肩に注射したインフルエンザワクチンはIgAの粘膜防御を惹起しない。学理がないから「効果がない」と否定する論法と同じ誤謬である。
森はドイツ医学の観念的な論法にこだわりすぎ、脚気問題を看過し続けたのは、事実だ。「当時はビタミンのことは知られていなかったから仕方ない」ではだめなのだ。そういう問題では、ないのだから。そういう意味では、本書の筆者も森と同じレトリックのワナ、臨床医学的思考の欠如に陥っているように、ぼくには見える。
森は高木を非難したし、それは高木の脚気対策非難であった。脚気感染論を否定した北里も「恩師に失礼だ」と非難した。森鴎外だけが陸軍脚気の戦犯ではない、というのは事実である。でも、森が無謬だったかというと、そうではない。森がやった「兵食試験」も脚気が背景にあるのは間違いない。森だって栄養はたんぱくとか糖といったカロリー部分にだけ注目していたのは間違いない。「高木はビタミンについて知らなかった」は森にも跳ね返ってくるブーメランなのである。
こんな素晴らしい本を書いた筆者に感謝する一方、臨床屋のぼくとしては看過できない、わりと細かい部分がある。実は森の学理も傾聴に値する。それは、森の以下のコメントに対する筆者の論評である。森を擁護する筆者は、ここだけ手厳しく森を批判する。
我国多数の学者は我国人大小麦を食ひて以て我国の脚気減少を致したりと云へり。此所見は前後即因果の論理上誤謬を有して、根拠頗る薄弱なること上述の如し 234ページ
という部分である。前後が因果ではない、というのは現在の臨床医学でも大切な教訓である。ところが、筆者はこれを「いやはやどうも、というよりほかにない」「支離滅裂」「全然医学問題を論ずる文になっていない」とくそみそに断罪する。
この森の言い草がいかに無法であるかは、次の例をあげれば理解しやすいであろう。ある病気の治療に、ある薬をあたえた、そしたら病気が治った。当然「薬が効いた」と言うべきであろう。それを、投薬の時期と病気の治癒の時期とが妙に符合しただけである、薬をあたえたことと病気が治ったこととの間に因果関係はない、病気は自然に治ったと認める、ちいう論法である。無法もはなはだしい。この論法を押しとおせば、すべての医学治療とすべての医学予防を否定することができる。医学を抹殺する論法である。235ページ
が、この「医学を抹殺する論法」は、医学における極めて重要な論法である。風邪の抗生剤、エラスポール、DIC治療のあれやこれや、、、みんな、この論法を否定し、前後と因果を混同した間違いである。日本の医療現場はこの手の誤謬、「使った、治った、だから効いた」のサンタ論法に充ち満ちている。
本書が出版されたのは、2008年である。2011年に増刷されている。21世紀の現在も、前後と因果の混同が「医学を抹殺する論法」と未だに信じられていることには、暗澹たる思いを禁じえない。これが筆者の個人的見解であり、筆者の属する組織が、明治時代から今なお臨床医学の本質から「ずれて」いる証左ではないといいんだけど。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。