日本人は時間の使い方が上手ではない。医療職、特に医者はそれが顕著だと思う。だらだらと遅くまで病院に残っていることを由とする風潮があり、ひどいのになると、それが目的化していることすら、ある(なんでそんなに早く帰るの?)。
男女平等なんとか、みたいな会合に呼ばれることがときどきあるが、信じられないことにそのような会合はたいてい夜か週末に行われる。その会合の時間をスペアしてくれれば、もっと家事育児に時間使えるとは思わないのだろうか。
ぼくがアメリカにいた時は、重要な講義は平日の朝にやっていた。ゲストスピーカーの講演もそうだった。頭が一番回っている時に一番重要な講演を聞くというのはとても理にかなっている。学会の最重要なプレナリーセッションも通常は初日の午前中だ。でも、平日の朝に講演を行う日本の病院はほぼ皆無である。疲れきった金曜の夜に講演をやっても頭に入るまいに。
その夜の講演を後押ししているのが、その後にある懇親会だ。あれは実にもったいない制度である。
懇親会の時に質問されて、答えてもそれはせいぜい2、3人に対する回答である。100人の聴衆を前にした質疑応答にそれを聞いてくれれば、その議論はみなとシェアできるから、効果は何十倍もある。こういう時間効率のなさが、どれだけ貴重な時間を奪っているのか、少し考えてみると良い。
よく、みんなの前で質問するのははばかられる、という人がいる。それは違う。質問力をあげるためには、みんなの前でこそ質問すべきなのだ。
プライベートな質問では、その質問が良い質問だったかそうでなかったかの吟味はできない。みんなの前で質問が展開されれば、その質問は何十ものトライアンギュレーションにさらされるから、いいかげんなロジック、いいかげんな思いつきの質問、単なる感情的意見はだしにくくなる(まあ、みんなの前で平気でそういうのを出すパターンも、学会ではあるけど)。
アメリカには「悪い質問はない」という格言があるが、もちろん嘘である。That is a very good questionという常套句もあるんだから、間違いない。質問力を鍛えるには、皆の前で質問を重ねるのが一番である。
ぼくらはよく論文にレターを書く。レターは査読があり、しっかり論文を読み、それを批判する能力を養うのにうってつけだ。お金も時間もかけずにトレーニングできる。自分で論文を読み、批判するだけだと独りよがりな言いがかりになるリスクがある。
日本の医者は質問に答えるのは上手だが、質問をするのは下手である。下手ならば上手になればよいだけの話である。だからこそ、場数を踏み、上手な質問ができるよう練習しなければならない。上手な質問をすること、、、それは知性と言い換えても良いのであるが、多くは質問に答える側を知性だと勘違いしているのだ。
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