[心得39][心得40]で、「リビング・ウィル」「終末期医療」「延命医療」「人工呼吸器」「胃瘻」といったアイテムを、これまでの議論の仕方とは違うやり方で議論しよう、という提案をしました。「終末期」は何をもって終末期に入れるのかが不明確で、「主観」の領域だから、ここを議論するとそれぞれの思惑、「好悪」がバッティングするからもめるだけ。だから、あくまでも「患者の選択権、患者の撤回権」の延長線上で、「リビング・ウィル」を議論してはどうか。
「人工呼吸器」も「胃瘻」も、その他のいろいろな医療のアイテムの一つに過ぎず、それはツールに過ぎません。「だれに」「何のために」用いる人工呼吸器、あるいは胃瘻を議論しなければ、スレ違いが生じてしまいます。そして、それを「延命」に用いる際にどうするのか?という場合には、その一点に関して、より詰めた議論ができるのです。
しかし、こういう議論はやりづらいものです。ALS患者会の川口有美子さんは、[心得39]で紹介したように、リビング・ウィルという概念に否定的で、尊厳死制度の法制化に否定的で、人工呼吸器を外すという選択肢に否定的でした。
「患者会」や一般市民に反論するのは勇気が要ります。医者は患者のアドボケイト(支援者)であるのが原則だからで、それに反対するのは医者のレゾン・デートルそのものの否定になりかねないからです。
ちなみに、厚生労働省の官僚も同じ「弱み」を抱えています。日本で予防接種の制度が進まないのは、ワクチン被害に苦しんだ人々の声が厚労省官僚の胸を一突きし、それに耐えることができないから、というのが僕の仮説です。
医者や厚労省が患者のアドボケイトであるべきなのは言うまでもありません。しかし、それは患者のイエスマンになることを意味するわけではありません。コミュニケーションや友情や、家族の愛城がそうであるように。相手の言うことに「常に」イエスと答えるのは、誠実なコミュニケーションとはいえません。
アメリカの予防接種のしくみはACIPとよばれる複数の専門家集団の代表からなる会議で決められます。そのとき、決定の投票は無記名ではなく、皆の前で手を上げて、「自分は賛成だ」「反対だ」と意見を表明します。この会議は一般のかたの傍聴も可能で、ウェブ上で公開もされています。「私達もワクチンを打ってくれ」と懇願する人たちも、「ワクチンなんて害悪だ」と主張する人たちも、この会議で誰が何に賛同し、何に反対しているのか一目瞭然なのです。
それでも、ACIPの代表たちは、自分たちの専門知識と経験と、プロ意識のもとで、誠実に、患者と社会の利益を考えて発言します。日本にACIPができない最大の理由は、そういう「プロの意識」が専門家の間で十分ではないからだとぼくは思います。批判されたら、どうするんだ、とビビってしまうのです。
アメリカなど諸外国の診療ガイドラインはネットで無料で公開されており、患者を含め誰でも読むことができます。でも、日本のガイドラインは今でも多くは有料で、場合によっては学会員限定。多くの人は目にすることはできません。ガイドラインは読まれてなんぼなので、実に不可思議な話なのですが、その大きな理由のひとつが「誰かに批判されると困る」なのです。プロとしては、情けない態度ですよね。高血圧学会を批判しましたが、実は日本の医学系学会の多くは、腰抜けです。
ALS患者の人権は十全に保全されねばなりません。すでに述べたように、人工呼吸器や胃瘻は、ALS患者にとっては「延命の手段」というより、通常医療のアイテムのひとつです。ですから、ぼくはALS患者に対する人工呼吸器や胃瘻の使われ方については、治療の道具として十二分に活用すれば良いと思います。
しかし、だからといって、それはリビング・ウィルや尊厳死という概念とか、あるいは人工呼吸器の中止という概念を全否定するべきではないと思います。「それ」と「これ」は区別して考えるべきなのです。
川口さんと対談した大野更紗さんは、医療はかくも多様で、ALSと(大野さんが罹患されている)自己免疫疾患は同列には語れないと言います(「現代思想」2012年6月号)。同感です。各疾患、各患者、そしてその文脈に従い、多様な選択肢が必要です。リビング・ウィルは生前の意思を強制的にアプライするという概念ではありません。同様に、生前の意志そのものを否定してしまうのも、やはり「多様性」を保全しません。
仮に一般市民や患者会が大反対しようとも、プロの医者として、こういう倫理の問題には、明確な見解を表明するのが、ぼくらの責任だと思います。
とはいえ!
このような見解を述べるとき、「医者の立場から」だけで意見を表明すると、立場と立場の対立だけになってしまいます。常に多様な立場に顧慮し、多面的に検討するのが大切です。
大野さんは言います。「患者さんに滅私奉公する医師ほど、ずっと病院の中にとじこもっている傾向が強い。(中略)医師は、「患者さんのために」と言うとき、本当に「患者さんのために」と思っているか、顧みてほしい。「患者さんのため」をもっとつきつめてください。
これは耳が痛い。医者って忙しいこともあって、自分の完結した世界観の外に出る暇がありません。自分の価値観が価値観の全てと思い込んでしまいます。
とはいえ、とはいえ!
どんなに多忙な医者でも「他者」との付き合いをもつチャンスがあります。
それは患者との付き合いです。
患者は、世の中の多様な世界の抽出ですから、そこから多様な価値観を抽出することは可能です。だから、患者の話をよく聞いて、自分とは異なる価値観、世界観が世の中にはあるんだよ、と「患者との語り」の場でもっと学ぶべきなのです。そうすれば、自分の完結した世界観から、一歩抜け出せるチャンスは高い。あとは、専門領域外の本(マンガ含む)を沢山読むこと、かな。
答えは、案外目の前にあるんです。
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