世界三大感染症は、結核、マラリア、エイズである。いずれも毎年うん百万という人命を奪ってきた。「きた」と過去形で書くのは、近年これらの感染症コントロールがうまくいきはじめているからである。WHOによると、2010年のマラリアによる死者数は65万人あまり。もちろん、まだまだ重要な感染症ではあるが、かつてに比べてその被害は減っている。結核も減少傾向(ただし、こちらは耐性菌の問題もあり、マラリアほど楽観的な状況ではない)。HIV/AIDSの状況も世界的には、「若干」改善傾向だ。
これとは別に、最近注目されている感染症がある。いずれもやはり毎年100万人以上の命をうばっている。それが、呼吸器感染症と下痢症だ。特に途上国の小児の命を奪うこの感染症に、WHOやユニセフも力を入れているが、その対策はこれまでとは異なるパラダイムを必要とする。
それは、なぜか。
19世紀の感染症対策は、そのまま「原因微生物対策」であった。結核対策は、結核菌対策とほぼ同義であったし、マラリア対策はマラリア原虫対策とほぼ同義であった。結核専門家は、「結核菌の専門家」であり、マラリアの専門家は、、、以下同文。20世紀の感染症の世界も、ほぼ19世紀の流れのママで進んでいった。
しかし、「呼吸器感染症」「下痢症」が象徴するように、この図式は21世紀にはもはや通用しにくい。呼吸器感染症対策に、どの微生物学者を招聘すれば良いのだろう?
「肺炎球菌」による感染症であっても、その感染症=現象が異なれば、治療法は大きく異る。肺炎であればたいていはペニシリンで治療でき、髄膜炎であれば、ペニシリン以外の抗菌薬を要する可能性が高い。中耳炎や副鼻腔炎であれば、おそらくは抗菌薬なしで治ってしまう可能性が高い。脾摘の患者の感染では、「何をやっても治らない」ことも多い。肺炎球菌か、否か、の命題だけでは問題をクリアーできないのが21世紀型の感染症診療、感染症対策なのである。
風邪の原因はウイルスか、細菌か?ぼくにとってこの命題は深刻な問題ではない。問題は、「抗菌薬を要するか、否か」である。風邪という「現象」においては抗菌薬なしで治る可能性が極めて高い。
昨日ベルランド総合病院で得た小児科医からの質問。
「ときどき、風邪と思って様子を見ていると、なかなか治りが悪い。しばらくよくならないなあ、と思い、抗菌薬を使うとすかっと治ることがある。こういう感染症にはどうすればよいのか」
僕の回答は、こうである。「先生がおやりになったように、対応されれば良いと思います」
「風邪」という現象だと思っていたが、それは認識違いで、実は風邪ではないということがある。それが抗菌薬を必要とする現象であることもある。小児だと、マイコプラズマ肺炎なんかがこんな感じになることがありますね。
しかし、それは「風邪のように見える、実は風邪ではない現象」である限り、「定義として」重症感に乏しい患者に違いない(呼吸数や顔色など、丁寧に患者を見ていれば、、、少なくとも)。仮にそれが「風邪」ではなかったとしても、急転直下で患者を殺すような現象ではありにくい(ありえない、とは言えないのが臨床医学の難しいところ)。だから、じっとビクビクしながら慎重に患者を見続ければ良い。そして、「これは風邪のようにみえて、そうではない」と判断できたところで、抗菌薬治療に踏み切れば良いのである。
これを、「もし万が一」の可能性におびえて全例抗菌薬を投与すると、逆の問題が生じてくる。すでに何度も申し上げているが、抗菌薬はリスクフリーではなく、その投与は「死」とすら関与している。片方のリスク(感染症の増悪)のみに注目して、抗菌薬を処方してリスクを「なかったこと」にすることは、リスクヘッジでも何でもない。それは単なる「思考停止」である。それは、「ワクチンの副作用」というリスクをヘッジするためにワクチンそのものを止めてしまい、原病による被害はほったらかしという忌まわしき日本の医療史にシンクロする。残念ながら、このタイプの思考停止は今も昔も実に多い。
残念ながら、日本の診療現場、感染症診療は未だに19世紀的であることが多い。「MRSA対策」という言葉を不用意に用いるが、「MRSAの何を対策するのだ?」という質問には答えられない。文学や絵画であれば、19世紀のそれは十全に現代でも通用する。しかし、医学の世界では19世紀「そのまんま」はありえない考え方なのである。
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