単独著者による教科書と、複数の著者によるそれと、どちらがよいか。これはもちろん、どちらでもよい。結果として良い教科書になっていれば。
単独著書の最大の利点は一貫性である。一定の原則とコンテンツに統一されており、読みやすく、理解しやすい。「プリンシプル」を勉強するには最適である。青木眞先生の「マニュアル」とかマリーノや大野先生の「ICU本」がこれに相当する。もちろん、そこにはよくも悪くも「エゴ・己」がでてくる。
複数の著者が書く本の場合、出来の悪い医学雑誌の特集、、、、じゃない、医学雑誌の特集の出来の悪いの、、、になってしまうリスクがある。セクションの内容のレベルに凸凹があり、ひどいのになると、それぞれが矛盾したステートメントを発している。このような「困った特集」を回避するのが編者の力量であり、トピックと執筆者を十分に吟味する必要がある。
本書はその点、「複数著者」の利点を最大限に利用した好著であると思う。国内の既存の本でもなかなかないし、海外でも珍しい。海外では臨床推論は内科医中心になりがちだからで、ここに整形外科、皮膚科、精神科などというカテゴリーが入っているのはほんとうに素晴らしい。
本書でも紹介されているように、Elsteinたちによると臨床推論能力には領域特異性がある。ある領域においては診断の名人でも、他の領域だと見当もつかない、ということはままあろう。また、セッティング特異性もある。ムラの診療所での診断名人も、大学病院ではまた異なることになろう(vice versa)。
したがって、一言で臨床推論といっても、そのセッティングや領域を多様に、ポリフォニックに語ったほうがしっくり来る。
「臨床推論」という概念そのものがしっくりこない領域もある。しばしば指摘することだが、病歴聴取で急性白血病が診断できることは稀であり、コンベンショナルな臨床推論にフィットした問題と、そうでない問題がある。ドクターG的な症例検討会ではうまく扱えない病気も多い。本書は、セッティングや領域ごとに分けて、それぞれの臨床推論アプローチを紹介し、並列させている。皮膚科医の診断プロセスと、神経内科医のアプローチは異なり、それぞれに興味深い。だから、ぼくは皮膚病編と神経所見のある患者のアプローチについて、個別に一所懸命勉強した。ガチガチの認知心理学的アプローチや、(本人によると)あまり学問的でないティアニーのようなアプローチまで、ここも多様に並行して取り扱っている。プレゼンテーションやNEJMケースと臨床推論との関係も(神戸大感染症内科では両方やってることもあり)興味深く拝読した。
理論面、教育面についてもいろいろな執筆者が多様にまとめている。初学者のとっかかりとしての勉強にも使えるし、熟練者のオサライにももってこいだと思う。
以上、感想。以下は本書と関係のない余談。
ところで、本書を読みながら気がついたけど、古典的なヒューリスティック・パターン認識も、仮説演繹法も(これもとっかかりは経験からくる帰納法なので、本当は帰納・演繹を行ったり来たり。演繹法、帰納法の分類も難しいですね)、実は「現象」をコトバに変換する際のバリエーションに過ぎず、「程度の問題」として統合できるんじゃないか。そう考えると、もっともっと楽に問題を認識できるような気がしてきたな。
あと、パターン認識だけど、しばしばベテラン医は、初級医は、、、という比較をしがちだけど、このパターン認識の「深度」も考えておきたい。両者では見ているもの、認識しているものが違う。ちょうど、ワインを試飲して即座に「2000年のブルゴーニュ赤、AOCは、、、作り手は、、、」と「パターン認識」する人もいれば、「これは赤い」と認識する人もいるだろう。認識も「現象」から「コトバ」への変換だが、コトバのリッチネスによってその意味は異なってくる。それを抜きにして「パターン認識」の是非は語りにくい、、、
更に余談。
これだけ網羅的な本書だが、それでも「構造と診断」で扱ったような内容は扱われていなかった。「こういう話」はあまりみんなしませんね。だから両者の存在意義があるというもので、それはそれで良いと思う。
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