注意! これは神戸大学病院医学部5年生が提出した感染症内科臨床実習時の課題レポートです。内容は教員が吟味し、医学生レベルで合格の域に達した段階で、本人に許可を得て署名を外してブログに掲載しています。内容の妥当性については教員が責任を有していますが、学生の私見やロジックについてはできるだけ寛容でありたいとの思いから、(我々には若干異論があったとしても)あえて彼らの見解を尊重した部分もあります。あくまでもレポートという目的のために作ったものですから、臨床現場への「そのまま」の応用は厳に慎んでください。また、本ブログをお読みの方が患者・患者関係者の場合は、本内容の利用の際には必ず主治医に相談してください。ご不明な点がありましたらブログ管理人までお問い合わせください。kiwataアットmed.kobe-u.ac.jpまで
BSL 感染症内科 レポート
・マラリアが原虫疾患だと分かった年
1880年に、フランスの軍医のCharles Louis Alphonse Laveranが、マラリア患者の血中から、マラリアが原虫疾患だということを発見し、1907年にノーベル賞を受賞した。
1878年からの軍の赴任先であったアルジェリアでマラリアが流行していた。Laveranが研究を始めた当時は、マラリアの原因は沼地の悪い空気であると言われていた一方で、マラリア患者の血液を光学顕微鏡で観察すると透明な袋に包まれた黒い粒が赤血球内部に見えることは知られていた。1880年、Laveranはこの粒が原生動物であることを発見する。同一のマラリア患者から連続的に採血し、原生生物が血球内で成長する様子を記録、最終的には胞子を形成することを見出した。1882年に移動したイタリアの沼地でもマラリアが流行しており、患者の血液から同じ原生生物が確認されたことで、確かとなった。Laveranは1884年に、480人のマラリア患者のケースから考察したTraité des fièvres palustresという論文を著した。
・マラリアの治療薬を本格的に用いだした年
1820年、フランスの科学者のPierre Joseph PelletierとJoseph Bienaime Caventouが、それまでマラリアの治療に用いられていたキナノキの幹から治療の中心物質を分離させることに成功した。この中心物質であるキニーネは、キナノキの粉に取って代わってマラリア治療の標準薬となり、急速にヨーロッパ中に広まった。1865年にイギリスの貿易商のCharles Ledgerがインドなどの南アメリカ以外の地域でもキナノキを育成させることに成功し、キニーネは十分に供給されるようになった。
・梅毒をマラリアで治すようになった年
1927年に、ウィーンの精神科医Julius Wagner Jaureggが、麻痺性痴呆の梅毒患者をマラリアに感染させることで、病原体である梅毒トレポネーマを熱で殺すという治療を創案し、ノーベル賞を受賞した。これは、梅毒の病原体の梅毒トレポネーマは高熱に弱いという特質を利用しており、体内の梅毒トレポネーマの死滅を確認した後、マラリア治療薬のキニーネを投与してマラリア原虫を死滅させるという方法である。
参考文献
http://www.cdc.gov/malaria/about/history/ June 27,2012
http://minato.sip21c.org/malaria.pdf June 27, 2012
http://www.rcpe.ac.uk/journal/issue/journal_40_2/butler.pdf June 28, 2012
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