論文の査読については、すでに書いた。
http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/1014363/1038674/61357585
最近思うのだが、日本人の査読と他の国のレフリーの査読は微妙に違う。
日本人の査読者は内容よりも形式にこだわる傾向にある。「投稿規定によるとこれは間違っている」みたいな。まあ、それは妥当なコメントなんだけど、なんだかなあ、と思うこともある。日本人以外の査読者は、内容の妥当性、主張の妥当性、データの吟味などに突っ込んでくることが多い。日本人だと、「○○の字が間違っている」的な形式主義に陥っていることが多い。以下のサイトにもあるが、そういうのは一番どうでもよいことなんだけどね。まあ、会議なんかでも日本の場合、内容よりも形式が議論の主体になることは多いですね。時間の無駄だから、そういうのは事務方に任せて本質的な議論をしようよ。
http://www.ehow.com/how_5942858_referee-scientific-article.html
さらに、「普通はこうは書かない」という指摘がある。それが妥当な指摘のこともあれば「俺はこうは書かなかった。そう教わらなかった」という私的な経験がベースになっていることもある。特に、症例報告。日本の症例報告はドメスティックな風習があるから(経過表の書き方とか)必ずしもそれがいつでもどこでもアプライできるわけではない。「俺はこうしていない」は本当に妥当な指摘か、査読者はもう少し考えてもよいのではないか。
あと、英語論文の時、日本の学会では日本語でのレフリングを認めていることがある。その是非はおいておいて、「英語が間違っている」と「日本語で」指摘するのはマナー違反なので止めてほしい。英語がつたないと他人に指摘するくらいなら、自分も英語でレフリングすべきだ。それができないのなら、他人の英語を四の五の言う資格はない。
レフリーはたいてい、匿名である。厳しいレフリングはよいと思うが、あまりに礼を欠いたコメントは厳に慎みたい。自分が顔と実名を出しても、そんなに失礼なコメントが出来るかを考えて、コメントすべきだ。匿名コメントってやっぱり無礼なコメントが増えますね、どこでも。
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