五月雨式で申し訳ないけど、読んだ時の印象を消したくないので、、、
日本学術会議は50年代、原子力研究推進をけしかけてきた
IAEAが核拡散監視機関として機能し出したのは1970年以降
正力松太郎は原子力民営化を推進した
東大、東工大、京大の原子力研究 60年代から
軽水炉はアメリカ産輸入から国産に移行してきた
国産化率は90%以上で、アメリカ陰謀論は弱い。
自民、社会、民社、公明は原子力開発推進で一致していた。社会党が反対し出したのは70年代から
日本では世界的に原発懐疑論が広まった時も計画経済的に通産省主導で原発を新規建築してきた。
しかし、トラブルや故障が多くて70年代は設備利用率は40−50%台
70年代は原発よりも原子力船「むつ」の放射線漏れの方が大きな話題であった。
原発の裁判はほとんど原告の敗訴
スリーマイルのメルトダウン時も、日本は違うからとポリシー変遷はなかった。
スリーマイルの被害者数ーー>controversial
http://www.guardian.co.uk/business/2004/apr/13/nuclearindustry.usnews
原子力安全委員会、原子力安全局、、、専任スタッフなし、事務局は科学技術庁、行政判断のオーソライズのみ、、、予防接種と同じ構造
アメリカが核不拡散外交をしていた時も日本は強固に抵抗して外交摩擦を起こしてきた。アメリカ一辺倒というのは単純な見方である。
コメント
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