科学技術庁の解体により、原子力委員会と原子力安全委員会は内閣直属の審議会となる。安全規制行政の実務のために2001年1月に原子力安全保安院発足。経産省内に商業原子力発電推進と規制の双方が内在した。
チェルノブイリの後も日本は何十も新しい原発を建設してきた。日本の技術力過信?
2002年のエネルギー政策基本法。エネルギー族議員による原子力の肯定、推進。民主党政権になってもその傾向は継続。
この流れは1950年代、中曽根康弘による原子力推進が嚆矢。ただ、中曽根の立場なら自国の原子力開発を優先させそうなものだが、アメリカの技術輸入を推進した。その原因は吉岡的には「不明」73P(不明な所は不明としているところが本書のよいところ。通俗的な解説本はここに憶測、陰謀説を入れるのが常)。
誠実な科学者vsダーティーな政治家・財界・官という歌舞伎的な史観は否定。
「そして三原則は賢者たちの良心的思想というよりもむしろ、物理学者のなかの積極推進論者と批判論者の共通の利害関心のうえに形成されたものであった。それは科学者にこそ原子力政策の決定権があると信じていた彼らが、政治家によってその自尊心をいたく傷つけられたあとに、いかにも賢者的な後始末によってみずからの存在証明を勝ちとるとともに、原子力予算可決という既成事実を、批判論者を含めた科学界の大方が満足できるような線で追認することの大義名分を獲得することへの、共通の利害関心に根ざすものであった。物理学者たちはそうした共通の利害関心を満たすべく、いわば政治家以上に政治的に行動したのである」p80
なるほどねえ。
ときに、原子力関係の委員会は、構造的に予防接種関係の委員会とよく似ている。その閉鎖性、党派性。
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