翻訳、監修、監訳をやることが多い。これは名前だけ貸してれば楽なんだけど、まじめにやると結構大変である。
いちおう、翻訳、監訳の時に心得ていることがある。あくまでぼくのスタイルなので必ずしも汎用性はなく、これを他者に押し付ける気はない。が、参考にはしてくれると嬉しい。
1.翻訳は「日本語作成」である。日本語としておかしい訳文はおかしい。必ず自分で読み直して、不自然でないか確認したほうがよい。
2.皆が使っているのが正しい言葉である。学術用語ではクリプトコックスである。でも、みなはクリプトコッカスという。クリプトコックスと言った人を見たことがない。ぶっちゃけ、学術用語を選択する人の言語センスが乏しいのである。それに阿る必要はない。繰り返す。皆が使っているのが正しいのである。
3.用語は統一する必要はない。言葉は文脈依存的である。前後の文章、文脈によって訳語は変わって当然だ。合わせる必要はない。ピッチャーと投手は辞書的には同意だが同じ言葉ではない。小林投手とはいうが、小林ピッチャーとは言わない。「4番、ピッチャー、小林」とアナウンスされても、「4番、投手、小林」とは絶対に言わない。そういうものだ。前後の文脈によってふさわしい訳語がある。だから、むりに一冊の本を通じて訳語を統一する必要はないし、しないほうがよい。ピッチャーと投手、どちらが正しい用語か的な議論がしばしばあるが、気にする必要はない。文章中にフィットするものがベターなだけである。
4.読者を信じろ。翻訳は、翻訳である。おせっかいな訳注はできるだけ少ないほうがよい。読みやすいからだ。訳文を加えてしまうともはやこれは創作となる。ネットの時代であり、気になる人はたいてい調べることもできる。ぼくの趣味としては訳注はできるだけ少なくし、読者の想像力や理解力を信じたほうがよい。くどい訳文は全体の語感を損ねてしまう。マイクロな説明に気を取られて全体を損ねてしまうわけだ。
翻訳は快楽だ。本当に楽しい作業だ。苦痛でもあるけど。また、うまい翻訳をしている本を見ると本当に楽しくなる。また、新しい作品の翻訳にとっくみあってみたい。
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