ケアネットのMALSを導入する準備をしていたが、ようやく神戸大病院にも入ってきた。僕のiphoneの調子が悪くて(これは5を買えという天の声だ、、、たぶん)しばらく格闘していたが、ようやくコンテンツを見ることができるようになった。レジシェアピラミッドでは、各研修病院がこんなにがんばって教材を作っていることは励みになる。こちらからコンテンツを提供することで宣伝にもなる(たぶん)。ビデオコンテンツも見れます。研修医の皆さん、がんばって活用しましょう。
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ケアネットのMALSを導入する準備をしていたが、ようやく神戸大病院にも入ってきた。僕のiphoneの調子が悪くて(これは5を買えという天の声だ、、、たぶん)しばらく格闘していたが、ようやくコンテンツを見ることができるようになった。レジシェアピラミッドでは、各研修病院がこんなにがんばって教材を作っていることは励みになる。こちらからコンテンツを提供することで宣伝にもなる(たぶん)。ビデオコンテンツも見れます。研修医の皆さん、がんばって活用しましょう。
投稿情報: 09:44 カテゴリー: 医学教育 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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洛和会音羽病院のドクターG、酒見英太先生をお招きしてのケースカンファももう3回目(そのまえにレクチャーもあったのでお越しいただくのは4回目)。昨日も非常に充実したカンファレンスでした。
また、神戸大のプレゼンターのクオリティーも高まっており、ケースの選択、プレゼンの方法、出し引きする情報、テイクホームメッセージなど、この数年で長足の進歩を見せています(手前味噌)。オーディエンスの質問の質も上がっており、とてもエキサイティングなセッションでした。酒見先生、またお越し下さいませ。
投稿情報: 09:37 カテゴリー: 医学教育 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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短期研修生のN先生にやってもらう。いろいろ奮闘しましたが、最後は非常によいプレゼンでした。うちはケースディスカッションは英語でやりますが、英語は目的ではなく、あくまで手段です。そこを通り抜けないと見えないものがあるから、そうしている。初期研修医にはたくさんティーチングのあるよいケースでした。
http://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMcpc1102200
投稿情報: 09:33 カテゴリー: clinical problem solving | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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鷲田さんの「「ぐずぐず」の理由」を読んでいる。チャリティーシンポでもキーワードとなっていた「ぐずぐず」であるが、このオノマトペを詳しく洞察した本書から学ぶことは本当に多い。
『「な」で始まる動詞というのは、なかなかになまめかしい。
たとえば、「舐める」「撫でる」「擦る」「なぞる」「なずむ」というような動詞。皮膚という他者の表面に、遠慮がちに、あるいは執拗に、触れることで、相手の気を惹いたり、相手の官能を探ったり、反応をうかがったりする。だれかの身体に触れるというのは、物体に触れることとは異なって、相手の身体のなかに、あるいはその官能のなかに、あるざわめきを発生させようとするものである。
相手には、わたしが触れるその客体であるだけでなく、わたしに触れる主体になってもらわなければこまるのだ。』
(前掲書より)
相手の主体を誘うかのような艶めいた、微妙な動き。九鬼周造の「いき」の一要素である「なよなよ」。
『 身体の中で最もエロティックなのは衣服が口を空けているところではなかろうか。・・・精神分析が的確にいっているように、エロティックなのは間歇である。二つの衣服(パンタロンとセーター)、二つの縁(半ば開いた肌着、手袋と袖)の間にちらちら見える肌の間歇。誘惑的なのはこのちらちら見えることそれ自体である。更にいいかえれば、出現ー消滅の演出である。』
ロラン・バルト「テクストの快楽」沢崎浩平訳 前掲書の引用より
性教育に携わっている人を見ていて、ちょっと引っかかってしまうのは「明示」ということにあまりにも過度にこだわっていることが観察される点である。性は、本質的に内在的に淫靡なものである。また、淫靡なものが消失した性などなんの魅力もない。ぼくらは衣服の陰からちらりと見える肌にドキドキする。裸体が、河岸のマグロのようにゴロリと横たわっていても何の感興も得ない。それは、アクチュアルにもメタフォリカルにもたんなる「マグロ」である。
「寝た子を起こすな」「ちゃんと正しい知識を教えなければ」という性教育にまつわる二元論は、本質的に淫靡な性を語る言葉ではないとぼくは思う。このような二元論、顕示か隠蔽か、という二元論で語らないような語り方で性を語りたいとぼくはいつも思っている。衣服の陰からちらりと見える肌にその本質(の一部)があるように。コンドームや生殖のしくみをばっちりはっきり見せれば教育だ、、、という明示へのこだわりは、「いき」の微妙な機微、ひだを若干見逃しているのではないかと感じる。むしろ学生のまえで微妙な質問に口ごもるのが、まっとうな性教育のふるまいであるような気すらする。
エイズ・HIV感染の診断をし、かの患者にパートナーがいれば、告知をお願いするのが医療者の責務である。しかし、すんなり告知できない人も多い。大切な人「だからこそ」言えないのである。これは、正しい、正しくないの二元論的問題ではない。その機微はDHHSのガイドラインを読んでも分からない。
数ヶ月、パートナーへの告知をためらい続ける患者がいた。ぼくは外来に彼が来るたび、さりげなくこの話題を持ち出して、パートナーへの告知を促す。アメリカの場合は簡単で、このようなときの告知システムは完備されている。システムが通知を行う。しかし、システムはパートナーの、恋愛の機微を担保しない。日本では粘り強く、患者が外来からドロップアウトしたりしないよう、慎重な綱渡りをしながら告知を促す。非常に精神的に消耗するタフな外来だ。
先日、この患者がついにパートナーに告知し、検査をすすめたとぼくに告げた。ぼくは喜び、ついうっかり笑顔で「それはよいことをしましたね」と口にしてしまった。ちょっと考え、はっと気がついた。「それで、○さんとはどうなりました」「非常に気まずくなって、とても困っています」と患者が言う。
患者にとって、告げない苦しみはある。しかし、告げたあとも苦しみが続くこともある。告げた後にもっと苦しむことがある。これはやってみないと分からない。どちらの苦しみが大きいか。医療者は方便として「嘘をつきつづけるのはつらいですよ」というけれど(ぼくも言うけれど)、これはあくまで方便に過ぎない。実際には本当のことを言った後に本当の苦しみが来ることもある。個々人によって、アウトカムには「ずれ」がある。EBM的な分かりやすさはここにはない。
ぼくは、パートナーへの告知という医療者的なアウトカムを達成して満足してしまった。その後患者が被っている苦痛、、、それはぼくが促したゆえの苦痛である、、、にあまりに無頓着だった。いったい何年HIVやってんだ、俺は。こんな素人みたいな失敗を未だにしてしまう。
医療者は、しばしば手前勝手である。自らが設定したアウトカムを達成すると、にやにやと喜んでしまう。俺はまっとうな外来診療をやっているぞと強がってしまう。けれども、設定したアウトカムは患者のそれと「ずれている」ことがある。しかし、その思いを感受せず、自分のアウトカムばかりに固執するとき、医療者のどうしようもない自己満足がかいま見れる。このような自己満足ににやにやしている医療者をぼくはあまり好きではない。だからぼくは今、強烈な自己嫌悪のさなかにある。
もちろん、それは患者がパートナーに告知しなくてもよい、という意味ではない。このような二元論で語ると、問題はとたんに平坦なものになってしまう。二元論は、一種の思考停止である。あちらが正しく、こちらは間違っている、、、あるいはその反対。一般になんとか主義は思考停止である。俺は正しくて、あいつは間違っている。だから、なんとか主義が勃興した20世紀は全体に思考停止の世紀であった。そこでは「それは社会主義だよ」「お前のは修正主義だろ」というレッテルはりでなにかが完了され(たような雰囲気がただよい)、そこで話はおしまいになったのである。アメリカで皆保険の議論になったとき、That's socialism!のひとことで議論が凍ったエピソードを思い出す。
知識は観念である。しかし、ぼくらは観念がしばしば自分の感情の発露、「感」念に転化していることに無自覚である。観念は感念を覆い隠す都合の良いエクスキュースになっていることも多い。たとえば、医療のアウトカムみたいな。
禁煙指導の目的は医療のアウトカムを達成するためにある。しかし、この観念が次第に感念に転化していることをしばしば観察する。そのとき、医療者は喫煙者を嫌悪し、喫煙者を嫌悪し、喫煙擁護者を嫌悪する。口には絶対出さず、それは観念のオブラートに包まれているが、その内部には嫌悪の感念がある。
感念があるのは別にかまわないとぼくは思う。だれにだって好き嫌いはある。ぼくにもある。それはよい。問題は、その「好き嫌い」=感念が観念であると勘違いしてしまうことにある。このことに無自覚になってしまうことにある。しかし、感念に自覚的であり、それを観念と切り離すことは容易ではない。多くの医療者がその「正しさ」のキラメキのために、この誤謬に陥っている。
煙草をやめたときの爽快な感覚。このような患者の体験(あるいはときに自らの体験)をぼくらは紹介する。嬉々として紹介する。しかし、禁煙をギブアップした人物が再びたばこを手にして一服する爽快感は(それがあるのは明確なことだが)「なかったこと」にしてしまう。本当は、両方の感覚に目配りしていき、ぼくら医療者の観念と患者の感念をすりあわせていくのが外来診療の要諦なのに、医療者の感念で患者の感念をむりやり矯正しようとしてしまう。そして、それに成功するとぼくらは嬉々としてしまうのである。もちろん、これも医療のアウトカムが是か否かという二元論で語ると、とたんに議論は平坦な空虚なものになる。
ぼくが禁煙指導を続けつつ、禁煙主義に懐疑的なのは、、、一見矛盾しているが、実際には十全に整合性がとれている、、、、ぼくの大切にしている人たちの何人かが喫煙者であるからである。それは要素である。が、要素を全体と転化し、ぼくの大切にしている人たちを攻撃する態度に対して、ぼくはディフェンスしようと試みる。大切な人はディフェンスする。決して逃げてはならないと思う。いじめを看過するのは、いじめへの参加と同義だから。喫煙と喫煙者は分離すると人はいうが、実際にそれを行うのは非常に困難である。観念はそうさせるが、感念はそうはいかない。人は自分の感念にはあまり自覚的ではない。とても自覚的ではない。観念のオブラートに包み込み、「正論」を主張するとき、、、それは昨今の原発・放射線問題でますますかまびすしくなっているけれども、、、、その二元論的な議論はとてもとても平坦になる。
二元論的な結論を早急に出さない。ぐずぐずする。鷲田さんの本からは、そのような言葉の機微、、、細かい言葉の機微がとても巧みに伝わってくる。
言語化も大事である。でも、口ごもることもわりと大事である。観念から自由になり、「感念」に自覚的であり、明示、説明責任、、、、ぎすぎすした(これもオノマトペ)明示主義でもなく、旧来の隠蔽主義でもなく、その行間をしなやかに微妙に、ぐずぐずと、びくびくと、それでも顔を上げて立ち止まってみたい。
『疲れは、言葉あそびではなしに、何かに憑かれることからたまってくる。身体が憑かれるのは、これまた奇を衒うのではなく、「観念」に、である。しなければならない、こうあらねばならないといった、規範としてはたらく「観念」に、である。ひとは、「精進」や「努力」、「禁欲」や「節制」、「健康」や「衛生」といった社会的規範に憑かれ、それらに何重にも縛られているだけでなく、「快楽」や「美」や「若さ」といった、うっとりするような幻想に煽られもしている。ダイエット、フィットネス、ジョギング、美容整形、気功、ダンスセラピー、ピアシング、自傷行為、摂食障害、接触不安、清潔シンドローム、メタボリック症候群・・・といった流行語や社会現象は、身体がこうした「観念」に縛られ、がちがちに凝り固まってしまうところから発生する。身体をほどくというのは、じつはこうした「観念」の縛りから身を解き放つということでもあるのだ。』
(前掲書より)
投稿情報: 09:47 カテゴリー: 考え方のピットフォール | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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http://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMcpc059020
本日のケースです。
投稿情報: 11:55 カテゴリー: clinical problem solving | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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投稿情報: 08:02 カテゴリー: journal club | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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いきなりあとがきから紹介です。
あとがき
いろいろな疑問が湧いてくると思います。なぜ、ワタルさんの彼氏はいなくなったのか?なぜエイズなのか?そもそもなぜ絵本なのか?けれども、絵本は絵本 の内容だけが表現の場だと思っています。その解釈のされ方は各人各様でしょうが、いくつもの解釈があってもよいのだと思います。でも、ひとつだけ。ワタル さんは最後に生魚を食べ、白い薬を飲まなくなります。これは治療がうまくいって、エイズで落ちた免疫能力が回復して、感染症の予防のために飲まなければな らなかった薬(白い薬)が不要になったのですね。けれども、HIVを抑える薬は飲み続けなければ再発してしまいます(黄色い薬と、青い薬)。
今回もすてきな絵を土井由紀子さんに描いていただきました。感謝、感謝です。絵本でしか伝えられないことを、絵本で伝えることができたら嬉しいです。
■ 岩田健太郎 ■
エイズという病気をもつ人々を診察してこられた岩田健太郎氏が、1人の男性がエイズを抱えながらも、〝ふつうに働き、ふつうに暮らしている〟日常を記し た文章。これを最初に読んだ時、私には、〝ふつうの暮らし〟そのことが驚きでした。そして、今では〝予防薬をのまなくてもよい〟ということが起こりうると いうことにも。私には不確かな知識と思い込みがあったからです。
この絵本が、この病気を抱える方の普段の暮らしを知ることへ、一歩近づく助けになりますように。
手にとってくださって、本当にありがとうございました。
■ 土井由紀子 ■
投稿情報: 14:13 カテゴリー: 本、映画、その他 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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ようやく出ます。これで9月の出版ラッシュはおしまい。今は授業の準備や来年の講演の仕込み、ほおっておいた研究と来月の学会発表の準備、、、ってやることむちゃあるやんけ。とりあえず週末は免疫学のおさらいしてます。
前回の「リンゴ」は子供が読んでも大人が読んでも重層的にそれなりに面白く、、、を目指しましたが、今回は完全に大人向けです。でも、小学生が読んでも、ありかな。みなさん、ぜひお読みください。
投稿情報: 08:46 カテゴリー: 本、映画、その他 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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もうほとんどの人が忘れていると思うけど、去年はこんな問題があった。これについてランセットにレターのやり取りがあった。この問題が提議され、朝日新聞からの反論が出ている。
それについて僕が書いたレターが以下のもの。ランセットにはrejectされたのでここに載せる。レターに対するレターに対するレターじゃ、厳しいかなあと思ってたけどやっぱだめでしたね。形式的にテクニカルに正しくても文脈やインプリケーションを無視した報道は問題でしょうという論旨です。テクニカルに正しければよい、、、という物書きなら、電話帳でも作っていた方がよいと思う。
Sharing information on adverse events.
Kentaro Iwata, MD MSc
Division of Infectious Diseases Therapeutics. Kobe University Graduate School of
Medicine, Kobe, Japan
Omuta rebutted the letter by Yuji et al1, on a report by Asahi Shimbun, stating "It is
highly regrettable that you ran the letter by Koichiro Yuji (snip) which labels a report that
ran in Asahi Shimbun as 'misleading'"2. Omuta wrote "nothing in the article indicates
confusion between adverse event and a complication", and "Asahi Simbun merely
stated that the Declaration of Helsinki was developed as a response to human
experiments carried out by the Nazis--it did not liken the clinical researchers to the
Nazis".
Omuta misinterpreted the word "misleading" as inaccurate. Despite there was no
protocol violation in the trial and there was no obligation in the researchers to report
single adverse event to others outside the trial, the news was covered at the front page
of Asahi Shimbun with the corresponding editorial. There was no need to bring up a
word "Nazis" in the editorial since Declaration of Helsinki is irrelevant to this incidence.
The report and the editorial by Asahi Shimbun were accurate in a superficial sense, but
were still "misleading" by implying something very evil was conducted by researchers.
This kind of deliberate connotation covered with superficial accuracy will not aid in
developing trust between media and medical researchers in Japan, not to mention
patients.
There is no conflicts of interest.
References
1. Yuji K, Narimatsu H, Tanimoto T, Komatsu T, Kami M. Sharing information on
adverse events. Lancet 2011; 377: 1654.
2. Omuta T. Sharing information on adverse events. Lancet 2011; 378: 483.
投稿情報: 08:36 カテゴリー: 考え方のピットフォール | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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臨床現場で実に悩ましい薬疹のまとめ。労作です。
薬疹の分類
学籍番号0713603 整理番号70 藤倉航平
体外性物質が体内に入り、もしくは体内で産生された物質が、生体に障害を与え、その結果として、発疹を生じたものを中毒疹toxicodermiaと言い、特に原因物質が薬剤である場合を薬疹drug eruptionと定義する。薬疹は、薬物に対する最も頻度の高い副作用の一つであり、入院中の症例の2-3%見られる。典型的なものは薬物治療開始後、数日から4週間までに起こる。
薬疹の分類は、(1) 発疹の形態、(2)従来の皮膚疾患、(3)薬疹特有の形態、を背景として行われており、多数の病型が存在している。以下に薬疹の病型分類とその特徴を示す。日本と米国ではほぼ同様の概念で分類が行われ、大きな違いは見られない。
病型 |
特徴 |
好発薬剤 |
紅斑丘疹型 |
最も頻度が高く全身に均等に紅斑・丘疹 |
アンピシリン,カルバマゼピン,チオプロニン,アモキシシリン |
紫斑型 |
血液障害や血管壁の障害により出現 |
金製剤,サルファ薬,ペニシリン,アセチルサリチル酸 |
水疱型 |
天疱瘡様の水疱が出現。 |
D-ペニシラミン,チオプロニン,カプトプリル,ブシラミン |
膿疱型 |
背部・顔面に多く、ニキビに類似。 |
カプトプリル,ペニシリン,フロセミド |
多形紅斑型 |
環状紅斑が多発する。 |
カルバマゼピン,アモキシシリン,チオプロニン,フェニトイン, |
扁平苔癬型 |
かゆみが激しく、難治性の苔癬を形成。 |
塩酸ピリチオキシン,カプトプリル,インターフェロンα ,シアナミド |
光線過敏症型 |
日光にあたる部位にできる。 |
スパルフロキサシン,ピロキシカム,フレロキサシン |
蕁麻疹型 |
薬剤使用後数分で現れ数時間で消える。 |
セファクロル,アスピリン,ゼラチン,塩酸セトラキサート |
湿疹型 |
接触性皮膚炎様の多彩な皮疹・かゆみ |
ペニシリン,ペルカイン,クロルプロマジン,クロルチアジド |
紅皮症型 |
全身が赤くなり、落屑を生じる。 |
カルバマゼピン,シアナミド,アロプリノール,アンピシリン |
エリテマトーデス型 |
円盤状ループスに類似・発熱 |
テトラサイクリン,ペニシリン,グリセオフルビン |
固定薬疹 |
特定の薬剤で同一部位に反復する |
アリルイソプロピルアセチル尿素,メフェナム酸,バルビタール |
中毒性皮膚壊死症型 |
30%以上の表皮壊死・剥離 |
フェノバルビタール,クロルメザノンアセトアミノフェン,アロプリノール |
Stevens-Johnson
型 |
10%未満の表皮壊死・剥離 |
ペニシリン,フェノチアジン系,サルファ薬,金製剤,ヒダントイン |
薬剤性過敏症症候群 |
肝機能障害・白血球増多・リンパ節腫張 |
サラゾスルファピリジン, アロプリノール, ジアフェニルスルホン |
薬疹においては、薬剤ごとに好発病型が存在するが、およそ皮膚科で遭遇するすべての皮疹形態を取りうる。逆に言うと、薬剤や個体側の反応性によりあらゆる皮膚病型を取りうるため、皮疹の形態だけでは、原因薬剤は特定できない。また分類困難な皮疹が出現することも多い。このため,診療の現場では皮膚病変が生じた場合、薬疹である可能性を常に考慮し,注意深く病歴・薬剤投与歴を聴取・調査することが重要となる。
薬疹の鑑別には、視診が最も重要であるが、薬剤リンパ球刺激試験(DLST:drug-induced
lymphocyte stimulation test)、パッチテスト、内服試験等を行い、原疾患と十分な区別を行う必要がある。特に内服試験は、危険を伴うため十分な注意喚起が必須である。
参考文献 ・ Up to Date “Drug eruptions”
・ HARRISON’S INTERNAL
MEDICINE 17th Edition Volume1, p343~349, Fauci et al.
・ 今日の皮膚疾患治療指針 第3版 p403-412
投稿情報: 17:37 カテゴリー: 学生レポート | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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