すでに青木先生、矢野先生からコメントがでているようだが、記事を本日閲覧できたので、この問題についてコメントしたい。
問題となったのは日経メディカル夏増刊号の井田恭子氏がまとめた記事である(滞る抗菌薬開発 適正使用がカギ」92−94ページ)。
記事のタイトル、主旨には特に問題を感じない。確かに抗菌薬開発は滞っている。耐性菌は大きな問題である。抗菌薬適正使用が重要なのも事実である。
が、しかし記事の内容には大きな事実の誤認やミスリーディングなデータの引用がある。引用されている菅野治重氏のコメントに問題が大きいことは分かる。しかし、筆者である井田氏もいやしくも専門誌に記事を寄せているライターなのだから、個人のコメントをそのまま引用するような無責任な記事の作り方をすべきではなかった。奇矯医なコメントをする医師がいる、という軽い問題ではない(世の中にはいろいろ変なことを言う人はいるものだ。そのことそのものは大したことではない。)。日経メディカル編集部全体の問題として、僕はこの記事を重く受け止めたい。それと、今回の記事には京大の高倉先生のコメントも引用されている。僕は記事にコメントしたときは、その記事を必ず事前に閲覧することをコメントする条件にしている。それを拒んだメディアからの取材には応じない。プロのコメントがプロフェッショナルに用いられるかを確認するための(お互いの)最低限のマナーであり、必要事項である。今回の高倉先生のコメントそのものには何の問題もないが、この記事を読んだ(と想像する)高倉先生がこの記事を問題としなかったのも問題である。敬愛する先達を公の場で批判するのは気が引けるが、この問題は重要なので敢えてこの場で苦言を呈したい。
では、一点一点検討する。
まず、高用量のベータラクタム・ベータラクタマーゼ阻害剤の投与は「米国流」ではない。これが耐性菌を増やしていると示唆するデータすらない。なんとならば、同様に大量にペニシリンを使用しているオランダのような国が圧倒的に(日米その他の国を凌駕して)耐性菌が少ない理由を説明できない。本記事は欧米、米国という用語が混在しており実際にどこの国の話をしているのかがはっきりしないが、欧と米では全然感染症診療の事情が異なるし、欧州の中でも耐性菌の多いスペインやフランスなどの国々と、比較的少ないドイツなど、そして耐性菌が極めて少ないオランダなどでは全然事情が異なる。
すでに矢野先生が指摘しているが、我が国の耐性菌は少なくない。確かに、米国に比べて少ない耐性菌がいるのは事実だ(その典型はVREである)。米国でみつかる腸球菌の3割近くがVREというのも事実であり、E. faeciumの多くはVREである。が、データの援用の仕方は間違いだ。数字を扱うとき、とくに「率」を扱うときには分母が大事になる。原典を当たればすぐに分かることだが、VRE0.05%というのは全検出菌における「率」である。(文脈を欠いている)MRSAやPRSPを含めた100万検体をこのような数字で表現するJANISもよくないと僕は思うが、それをそのまま引用する井田氏のそれは、「分母は何か注意する」という基本を欠いている点でメディカルジャーナリストとしては容認できない誤謬である。
ちなみに、JANISはよりレレバントなデータ、E.faecium中のバンコマイシン耐性率をちゃんと出しており、それは0.05%よりも当然ずっと大きい(2%)。VRE培地を用いている医療機関が日本に少ないことは差し引いても、確かにVREに関する限り、日本は「アメリカ」よりはずっとましだ。その点には賛同する。
JANISのデータをもう少し見よう。2009年の黄色ブドウ球菌検出数が180184、うちMRSAが105722である。黄色ブドウ球菌におけるMRSA率は59%である。10.01%とする日経メディカルのデータの出し方はミスリーディングで誠実さを欠いている。神戸大学病院のそれは70%弱である。多くは近隣医療機関からの持ち込みである。亀田総合病院のそれも僕が就任した2004年には75%であった(現在は40%以下)。エリスロマイシン耐性の肺炎球菌は85%である。ベータラクタマーゼ産生菌も多く、ESBLsは神戸大では検出大腸菌中、20%前後である。そのほとんどが多院からの持ち込みである。兵庫県だけが日本で超特殊な県というわけではあるまい。
日本の場合、培養を全然とらない「耐性菌ゼロ」の医療機関もあるから、これがどこまで実際の数字を反映しているかは不明だ。が、少なくとも断言できるのは日本において「耐性菌の検出率ははるかに低い」というコメントは事実ではなく、「我が国でそれだけレベルの高い診療」が行われているわけでもない(塩野義製薬感染症適正使用推進室長中林祥治氏のコメントを引用)。
国内で長年カルバペネムや第四世代セフェムを使うことが耐性菌を減らすという菅野氏の見解を示唆するデータはない。日本よりずっと耐性菌の少ないオランダではこれらの抗菌薬を目にすることすらほとんどない。アメリカの耐性菌事情がお粗末なのは僕も菅野氏に同意であるが、アメリカがけしからんから日本はこれでよいのだ、という悪い形の自民族擁護主義は事実を見据えたものではない。カルバペネムも効かない多剤耐性緑膿菌はすでに日本には蔓延している。多剤耐性アシネトバクターも無関係な菌ではない。アメリカがやっているから間違っている、というロジックは、アメリカがやっているから正しいというロジックと全く同じ構造で間違っている。
PK/PD理論が「理論」である以上、これがどこまで臨床的アウトカムに結びついているのか、とくに耐性菌出現のリスクにどのように寄与しているのかについては不明な点は多い。それは事実である。逆に、PK/PDに反する低容量抗菌薬使用が耐性菌を減らすという事実もない。科学において、憶測、仮説は大切である。今の常識にあまりにしがみついているとゼンメルワイス時代の学術界のような誤謬に陥る。一見トンデモ論に思えてもきちんと傾聴することは大切であるが、それにしてもあまりにもバランスを欠いた記事であり、コメントの「裏」を取っていないところは大いに問題である。
繰り返すが、奇矯なコメントをする人がいるのはいつの時代にも、どこの国でもあることであり、そのことは僕は問題としない。しかし、このようなバランスを書いた検証記事が、スポーツ新聞や娯楽雑誌ではなく、日経メディカルに掲載されていることは、僕は大きな問題としたい。
以上の文章は日経メディカル編集部にもお送りする。紙面作りの参考にされたい。
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