最近ではこの言葉を使う人はほとんどいなくなったが、かつてドイツ代表チームの代名詞といえば、「ゲルマン魂」だった。リードされる不利な展開であっても絶対に最後まで試合を投げない、諦めないという不屈の闘志で格上の相手をやっつけるのである。古くは1954年スイス大会の決勝。予選リーグでぼろ負けし、圧倒的に優位と言われたマジック・マジャール、ハンガリー代表に見事な逆転勝利。1970年には前回覇者のイングランドにまたしても逆転勝利。1974年は優勝候補の筆頭だったクライフのオランダに逆転勝ち。1982年にはプラティニ率いるフランスに延長戦で同点、PK勝ちと、下馬評の低い試合で次々と逆転勝利を飾っていく。まるでどこかのサッカー漫画のような劇的な勝利を重ねていったのである。
本家ドイツ代表は、近年負けるときはころっと負けることが多く、より洗練された、しかしより軟弱なチームに転じているように思う。なぜか、そのドイツの地で「ゲルマン魂」を持った日本の女達が世界を制した。世界中を驚かせた。僕も驚いた。日本代表の優勝を願っていた人は多かろう。日本代表の優勝を「予想」していた人はほとんどいなかったはずだ(me included)。
この不屈の「ゲルマン魂」は日本人独特の属性ではない。日本女性特有の属性であると僕は思う。日本の男の魂はもっと貧弱である(me included)。同じドイツの地でころころ負けたのは2006年の日本男子代表だったが、技術的には「史上最強」と呼ばれながら、あっさり負けてしまった。その敗因はジーコのチーム戦略というよりも、選手のメンタルの弱さ、チーム・プレーの欠如(個人のエゴをコントロールできないメンタルな弱さ)、コンディション作りの稚拙さ、失点したときのパニクりぶりが大きく寄与していたと僕は思う。日本男子の精神的弱さはここ数年のことではない。「ドーハの悲劇」は試合終盤をふてぶてしく逃げ切れなかったメンタルな弱さが寄与しているし(女子準決勝のスウェーデン戦のふてぶてしさを見よ!)、80年代の日本代表は点を取られるとすぐにおたおたとパニクるメンタルに弱いチームであった。もっとも、見ていたファンも(me included)おたおたしていたけど。もっと言うならば、戦時の日本は「精神論」で戦争を戦ったのだが、精神を鼓舞することをあれだけ集団的に強調しなければいけなかったその集団ヒステリー状態は、メンタルな弱さの表象そのものではないか。少なくとも、江戸末期以来日本の男性はメンタルに強かった時は一度もない、と僕は思う。
近年、日本の男性は「草食化」の時代を迎えているという。女性化しているともいう。これは、ある意味日本男性がメンタルに「強くなっている」ことを示しているのではないかと僕は思う。
つまらないことで虚勢を張ったり、怒鳴り声をあげたり、つまらないプライドやタイトルや昇進にこだわったり(つまりは、他者と比較しないと生きていけない)、、、これらの「肉食系」の態度は全て逆説的にメンタルな弱さの表象である。「昭和の時代」みたいに社員旅行をしたり、宴席を重ねるという態度。「周りと同じ」でないと我慢できない極端な集団への帰属意識。これらも全て「弱さ」の表象である。クールに個として生きていけないのも、「弱さ」である。
最近、研修医や学生が精神的に弱くなったと言われる。僕もそう思うときもある。けれども、一方で、「弱さ」とは実は「強さ」の勘違いなのではないかと思うこともある。強さとは何か。漫画、「はじめの一歩」で繰り返し提示されるテーゼは、意外にやっかいなテーマであるが、なでしこジャパンは強さの一つの形を見事に示した。日本の男が「強く」なる可能性が、そこに逆説的に見えてきたように僕は考えている。
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