今書いている本の草稿です。本当に今回の地震からはたくさんの学びがあります。
薬理学と微生物学のお話
薬理学も微生物学も、率直に言ってそれほど人気のある科目ではありません。「暗記物」というイメージがあるからかもしれません。ここではできるだけ「暗記」ではなく、理解するような形で、実践的な抗菌薬の話をしてみたいと思います。
経験値は正しい抗菌薬の使い方を教えるか?
僕らが推奨する抗菌薬の投与量に難色を示す先生がときどきいらっしゃいます。その理由の多くは
「そんなにたくさんの抗菌薬使ったことがない」
という経験的な気持ち悪さと、
「今まで、普通に投与していて困ったことがない」
という経験論です。
すでにご説明したように、僕は必ずしも経験論を無下に否定するものではありません。経験は貴重です。EBMも経験論も、「他者の事例」を目の前の事例に応用させるという点では同じ、つまり「帰納法」です。このことは説明しました。したがって、(世間でときに言われているのとは異なり)僕は、EBMと経験論は同じ原則に基づくある種の連続的な概念で、両者は真反対の、別な概念ではないと考えます。
日本で通常使用される抗菌薬は、薬理学的には理にかなっていないことが多いです。それは、古い抗菌薬であれば特にそうです。例えば、ピペラシリンというペニシリン系抗菌薬の通常投与量は2gを12時間おき、というものです。時間依存性であり、頻回に投与しないと十分な効果が得られないペニシリン系抗菌薬を12時間という長い間隔で投与するのは、薬理学的には理にかなっていません。
現に、この抗菌薬(ピペラシリン)とタゾバクタムの合剤が近年日本にも導入されましたが、この投与量は4.5gを1日4回(ピペラシリン量にして4gを4回)、6時間おき投与です。同じ抗菌薬でも「最近承認された抗菌薬」だと投与量は多くなり、投与間隔は短くなっているのです。もし、以前の薬(ピペラシリン単剤)が薬理学的に妥当な投与をしていると仮定するならば、タゾバクタムにピペラシリン破壊作用があるとか屁理屈でも持ち出さない限り、この齟齬を説明することはできません。
ここ10年くらいで承認された日本の抗菌薬はおおむね薬理学的に妥当な投与方法となっています。これは、日本の製薬メーカーと診査・承認担当者のレベルアップを意味しています。日本は、確実に良くなっているのです。
ところが、過去に承認され、添付文書も作られている抗菌薬は、昔の使用方法のままで、薬理学的には「まちがった」使い方が記載されています。先ほどお示ししたピペラシリンがそうです。中にはーーーーレボフロキサシン(クラビット)のようにーーー間違っていた投与方法を改定したという事例もあります。かつてレボフロキサシンは100mg1日3回というのが標準的な使用方法でした。濃度依存性の抗菌薬であるレボフロキサシンは、最高血中濃度をきちんと高めたほうが効果が高いので(ピペラシリンとは逆で)頻回に投与はせず、1日1回投与のほうが妥当なのです。現在では、クラビットの投与方法は500mg1日1回に改まっています。
残念ながら、このような「昔の間違いを改める」営為はなかなか日本では見られません。多くの古い抗菌薬は、薬理学的には間違った使われ方が添付文書に記載されているにもかかわらず、相変わらず間違ったままの添付文書のままなのです。日本の製薬メーカーと審査・承認担当者は昔に比べると格段に進歩し、彼らの専門性は以前よりもずっと高いのですが、「過去の間違いを認める」「過去の間違いを是正する」という点においてはまだまだです。自らの間違いを認め、これを正すというのは、知識というよりもむしろプロとしての矜恃の問題なのですが、彼らは(そのテクニカルな進歩にもかかわらず)まだプロとしての矜恃は不十分なままなのです(僕たちはそのプロの矜恃を、福島第一原発の事故を目の当たりにした原子力のプロたちに見る例も、「自称」プロがまったくそうした矜恃を持たない例も、どちらも今回体験しました)。
さて、臨床現場にも問題は残っています。薬理学的に妥当な投与方法を提案しても、
「そんなにたくさん使ったことがない」
という経験論で反論されると、、、これは多分に感覚的な問題なだけに、、、なかなかうまくいきません。
新しい概念を導入するのには時間がかかります。時間をかけて丁寧な説明を繰り返して、少しずつ妥当な線に移行していく他ありません。幸い、日本人は新しい概念を導入することがそんなに苦手ではありません。あんなに大事にしていた日本刀をあっさり捨て、ちょんまげを落とし、「鬼畜」といわれた英米人とあっさりお友達になるだけの「器量の深さ」「寛容さ」を持ち合わせています。日本人は、頭が悪いわけでもありません。きちんと説明すれば(ごくごく一部の例外を除けば)たいていちゃんと理解するだけの知性と理性をお持ちの方が多いです。というわけで、
「そんなにたくさん使ったことがない」
的な問題は、僕は早晩解決していくものと思います。ここ数年で、神戸大学病院の抗菌薬使用も大分改善してきたことが、その証拠です。
さて、
「今まで、普通に投与していて困ったことがない」
こちらのコメントは、若干ニュアンスが異なります。
過去の経験を活かすことは、素晴らしいことだと僕は思います。過去の経験はしばしば役に立ちます。ただし、より役に立つのは成功体験ではなく、失敗体験です。
世の中には、インフルエンザワクチンを一度も打ったことがないのにインフルエンザにならない人がいます。「俺は、いままでインフルエンザになったことがないから、ワクチンは要らないよ」とおっしゃいます。
しかし、過去の体験は、小難しく言うと全て「独立事象」であります。過去にインフルエンザにかかったことがないからといって、未来にインフルエンザにならないという保証は一つもありません。丁半ばくちを打っていて、過去5回連続で「半」がでたからといって、次にやはり「半」になる保証にならないのと、同じです(もちろん、つぎも半になる可能性も、やはり同じく50%のままです。イカサマがなければ)。
シートベルトをしないで車を運転していても全然事故を起さない人がいます。ヘルメットをしないでバイクに乗る人もいるかもしれません。ビールいっぱい引っかけたくらいなら大丈夫、、、と運転している人も、ひょっとしたらいるでしょう。では、そのような「過去大丈夫だった」という経験は、未来の安全を保証するでしょうか。そんなことないですよね。過去のいきさつがどうであれ、車の運転時にはシートベルトが必要で、バイクに乗るときはヘルメットが必要で、飲酒運転はよろしくありません。
過去何百年大丈夫だからといって、未来の安全を保証しない。僕らは東北を襲った地震と津波で、、そしてそこから発生した原発事故で大変に重い、いや重すぎるほどの教訓を得たはずです。
例えば、ある外科の先生が
「俺は術後の創部感染、1日2回のベータラクタムで治療していて、うまくやっていたよ」とおっしゃいます。薬理学的に妥当な抗菌薬投与法だと、もっと頻回に投与したほうが、、、とお奨めするのですが、「今まで大丈夫だから大丈夫」とおっしゃいます。そして、次に
「大体先生、俺は手術に関しては長い経験を持っているんだよ。先生に何が分かるの?」
と言わる。
うーん、そうですね。実を言うと、術後感染症に関する限り、僕くらい経験値の高い外科の先生はあまりいないのではないかと思います。なぜなら、僕らはトラブルが起きたときだけ呼ばれる感染症のプロであり、外科の先生は「たいていは術後経過問題ない」日常を送っておいでだからです。
例えば、ここにベテラン・ドライバーがいたとしましょう。無事故、無違反、模範的なドライバーです。ここに、やはり同じキャリアの警察官がいます。交通課にずっといて交通事故を主に担当しています。
どちらが、交通事故に関するエキスパティースが高いと思いますか?もちろん、答えは後者です。
交通課の警察官は「上手くいかなかった交通事故の事例」を知り尽くしています。ありとあらゆる交通事故を検証し、「どういうふるまいが交通事故につながるか」も熟知しています。一方、ドライバーにとっては交通事故はまれな事象であり、それは優秀であればあるほどそうであります。両者において、交通事故の知識、経験、専門性に大きな差が生じるのは当然といえましょう。
同様に、感染症のプロは「上手くいかない術後感染症」の事例を知り尽くしています。1日2回という間隔の伸びたベータラクタム薬を使用しており、それで治癒に至らないケースは珍しくありません。「同じ抗菌薬」の量を増やし、投与間隔を短くしてやるだけで良くなることもまれではありません。そのような体験は、もちろん多くの外科医が経験することはありません。術後に感染症を起こすことは日常的ではないですし、薬理学的に妥当ではない治療法でも治癒に至ることはあるからです。シートベルトをしないからといって即座に交通事故で死んだりしないように。しかし、ベテランドライバーが「俺はこの道何十年のベテランでずっとシートベルトしていないけど、一度も問題になったことがない」と言われても、やはり(シートベルトなしの交通事故がどれほど悲惨なものかを知り尽くしている)警察官としては、「あなたのおっしゃることにはウソはないのでしょうが、それでもシートベルトはすべきなのですよ」と申し上げねばならないのです。およそ「うまくいかない感染症マネジメント」についての経験値において、感染症のプロくらいその数とヴァリエーションを網羅している人物は、そうはいません。「いやいや、術後に感染症を起させたら俺にかなうものはいないよ。手術をすれば感染症はほぼ必発。術後感染症において俺くらい経験値の高い医者はいないね」という奇特な外科医には、未だお目にかかったことがありません。
繰り返しますが、経験はとても大切であり、僕はそれを大事にします。しかし、成功体験がもたらす「錯覚」にもとても自覚的であるべきです。失敗がもたらす経験もまた、成功体験がもたらす以上に貴重な学びの機会です。経験とは、そのように我々プロに認識され、未来に向かって活用されなければならないのです。
いつも楽しくブログを拝見いたしております。また大変勉強させていただいています。「マスコミのバッシングには、マスコミ・パッシングを」などは、目から鱗でした。
さて、抗菌薬の投与方法に関して日頃感じている疑問があります。ぶしつけで大変失礼とは思いますが、もしよろしかったら御教示下さい。
時間依存性のβラクタム剤は投与間隔を狭めて回数を増やしていくより、いっそ24時間持続投与した方が理にかなっていると思うのですがいかがなものなのでしょうか?用量依存性のニューキノロンにしても1日1回よりも、一回量を増やして週1回の単回投与の方が効きそうな気がします。これらの極端な投与方法では、やはり副作用が多く出てしまうのでしょうか?検討された論文など御存知でしたら教えていただけませんか?
最後に匿名ですみません。
投稿情報: Kisamamisa | 2011/04/22 23:42