内田樹先生が「疎開のすすめ」を書き、これを小島信夫さんが難じている。
むろん、僕のような素人がどちらの見解が妥当かと申し上げることはできない。疎開を奨めることも、その場に残ることも、どちらが正しいかは僕には分からない。まあ、誰も僕の意見なんてあてにしていないとは思うけれど。
ただ、言えることはいくつかある。
1.過去のデータを基盤にした演繹法はしばしば間違える。
これを学習したのは2001年のバイオテロの時だった。CDCは郵便物から炭疽菌が飛散して郵便局員が感染することは「常識的にあり得ない」と言い、郵便局員に「安心しろ」とメッセージを出したが、この推奨は不幸にも外れ、郵便局員に感染者も死者も出た。過去のデータをストレッチして演繹しても未来を正しく予測するとは限らない。ジャーナリスト(経済学者?)である小島氏は、過去の勉強と経験を沢山お持ちであるが、未来に対する「畏れ」が若干足りないように文面から感じる。科学的言説とは、そんなに断言口調はできないものである。もちろん、このことは「思考停止」に陥り、パニックになることを奨めるものでも、全くない。小島氏が「間違っている」と主張するものでも、もちろんない。ただ、過剰な畏れも過剰な自信も未来に対する対応策としてはうまくいかない。「中腰の」姿勢が大事なのは、臨床医療と同じである。
2.家族を基盤に考えると、理性的な判断は困難である。
家族や友人を上手に診療できないのは、医者ならたいてい経験しているだろう。自分自身のことであれば、他人のことであれば、理にかなった判断はできよう。家族や友人が絡むと理性がくもる。どうしたってくもる。それをかかえて「うーん、理論的には正しいんだけど、家族はねえ」と判断する気持ちを否定することは全くできない。だから、理論的に正しいことと、「私がとる行動」に齟齬が生じるのは、ある程度は許容してもよいと思う。これも臨床現場では日常的だ。
というわけで、疎開したい人はすればよいし、残りたい人は残ればよいのではないか。今のところは。ただし条件がある。
1.他人を害さないこと。パニックになって他人を押しのけたり、奪ったり、事故を起したりしない。
2.自分と異なる判断をした人を罵倒しないこと。
確かに移動には電力やガソリンの消費が絡むので、そこはダウンサイドだが、消費は危機的な経済にはアップサイドだ。東京を離れれば、かの地の電力消費をする人が減るという利点もある。
なにをやるにもよいところと悪いところがある。一面的に一行動を非難するのではなく、程々の、中腰の姿勢でいることが大事だと思う。というより、東北で苦痛を被っている人の苦労と苦痛を考えると、「選択肢がある」ということそのものが僥倖ではないか。関西にいてさらに選択肢の大きい僕は、自分の身の置かれた僥倖に感謝するのである。
IZUMIさん。しかし僕もあなたも東電の社員が原発の中で奮闘しているのをしっています。あなたが原発内にいるのでない限り、「自分だけ安全なところに移ろう、という気持ちには到底なれません」とは言えないのでは?
投稿情報: iwata kentaro | 2011/03/19 22:31
内田先生nブログにはコメント欄がないため、こちらに書かせていただきます。
今回の「疎開のすすめ」で、先生のスタンスがよく理解できました。
私は反対です。
突然起こった大地震、津波の飲み込まれ、一瞬にして命を失った方々(現在も行方不明の方々)のことを考えると自分だけ安全なところに移ろう、という気持ちには到底なれません。
皆、自分の考えるところにより行動すればよいと思います。
地震、津波の起こった場所(富士山噴火、東海大地震でもいいです)が自分の住むところだったら、そんな選択肢はないんですよ。
今は元気でいる人はそれぞれ平素の経済活動をして日本全体を支える時なのではないのですか?
私はそう思っていますし、力いっぱい頑張ります。
ひとつだけ言えることは、疎開した人もしなかった人も、それぞれまた笑いあって会えることです。
でも私は今回疎開された方とは「自分と価値観が違う人」としてそれ以降接するだけです。
本当にこのことは是非ではありませんね。
改めて人の思考の多様さを感じています。
投稿情報: izumi | 2011/03/19 22:16
内田樹先生の論と小島信夫氏(クリックすると池田信夫氏のブログに行きました。小島信夫という方は小説家で2006年没とウィキペディアにありましたが…他の方でしょうか?)のブログを読みました。(従って、確認したブログは池田氏の「デマにご用心」です。他に該当するものがなかったので、間違えていたら申し訳ございません。)
私のスタンスは基本岩田先生と同じものです(条件つきで「疎開したい人はすればよいし、残りたい人は残ればよいのではないか。」)。いや、よく自分の論を見直してみるとそのスタンスを前提に「どっちかと言うと移動できる人はしたら?」かも知れません。昨日のテレビでは大阪が被災地の方を受け入れるとのことで、本日の新聞などでも現在の所、各自治体で空いている公団住宅などを使って受け入れる所もあるようです。
「疎開」という形か分かりませんが被災地の方が移動すること、都市部の方が移動することは先生もおっしゃられるようにそれぞれのメリットがあるように思えます。移動可能な被災地の方が移動することで移動できない被災地の方に物資やエネルギーを回しやすくなるでしょうし、都市の方が移動すれば「計画停電」や物資不足などのリスクが改善されるかもしれません。
現実的には交通網、仕事など、移動できない理由も当然多々あると思います。原発のために移動するとなるとやはり危険なのかというように誤解されかねず、パニックになる可能性は最も避けたいところだとも思います。いずれにしろ、動くことが自分のためにもなり、被災地のためとなるように(できればより被災地のために)行動することが肝要かと思っております。もちろんそこには自分で考え、判断し、それが独善的にならないように「ためらって」俯瞰するという前提は当然ですが。
「中腰」は常に大切なスタンスで、私も常に心がけているつもりです。しかし先生方のように、常に明確な回答を求められ、中腰でいることを外から認めてもらいにくい立場の方々は、局面局面で本当に大変だと感じております。これからも先生の目線を注目させていただきます。
投稿情報: Gast | 2011/03/17 12:17
いつも感心しながら拝見させていただいています。
様子もよくわからないなか、感傷的になっていて、正しい判断ではないかもしれませんが、個人的には政府として疎開を進めてほしいと感じています。
首都圏の多くでは大丈夫なのかもしれませんが、東北の被災地では、ミルクも満足に手に入らない、暖房もない、そんな環境に乳幼児もおかれているようです。
今後、体調を崩しても、満足に治療を受けられる状況ではないでしょう。ましてや精神的なサポートにまでは、とても手が回りません。疎開にはデメリットもあるでしょうが、移動先で温かく迎えてあげることができれば、なによりのギフトになると思います。
避難所の方や相当な被害を受けている地域では、他の場所に移動しようにも、方法さえ思いつかないのではないでしょうか。つてもなければなおさらです。
各都道府県などが、バスなどで迎えに行ってでも、子どもなどを優先に緊急避難的な疎開を早急に進めるべきではないでしょうか。
失われなくてもよい命が奪われることがあってはならないと思います。
投稿情報: inori | 2011/03/16 23:16
疎開するのが正しいかどうか?(正しさ、にもいろいろな見方があるとはおもいますが)は結果をみなければわからないと思います。専門家の予測を超える事態はおこりうる、でしょう。
自分が「疎開のすすめ」を問題に思うのは、この発言をしたのが内田さんである、ということです。個人のblogではありますが、高名な方のblogは影響が大きい。そして、現実問題として、首都圏の人が疎開するための費用や経済の影響などを考えれば実現不能、といってもよいのではないでしょうか。いまのうちに順番に疎開すれば、というご意見も、いまのうち、がいつまで続くかわからないわけですから、疎開を国が発表すればその時点でパニックは必至です。
可能性の問題、とはいえ、やはり高名な方がするべき発言ではない、と自分は考えます。
投稿情報: MIK | 2011/03/16 22:27