学生の時に買って、意味が分からないまま何度も読み返している本。ようやく、かするように理解のとば口ができてきたように思う。1994年の本だが、今読み直してもなお実に新しい。
セイ法則を基軸にしてリカードからケインズまでのマクロ経済学の流れを概説している。実に短いページ数によくもまあ簡潔に人物をまとめられるものだ。マックス・ウェーバーのところなどはびっくり脱帽である。森嶋はマルクスやケインズを高く評価する。それは吉本隆明のようにひいきのひきだおしと情熱で敵対者を罵倒してなすのではない。限定された条件下での、例えば産業革命時のイギリスとか、第一次世界大戦後のアメリカやヨーロッパといった条件下でのマルクスやケインズの理論の評価と、彼ら自身が他の条件ではそれが成立していないことを自覚していた点を評価しているのだ。マルクスとマルクス経済学者の違いが際立ってよく理解できる。
ケインズがドイツに賠償を求めなかったときの勇気も森嶋は高く評価する(森嶋も大変に誇り高い人物だった)。周りが全て敵だらけでも、ドイツの賠償金を低く抑えようとケインズは迎合しない。それが未来におけるケインズの評価を不動のものにしたのである(一部分は)。「ケインズの正義感は、不当な集団リンチを許さなかった」のである。
さて、不当な集団リンチを毎日のようにやっている我々の社会である。ケインズの態度(ケインズの学問だけではなく)から学ぶところは実に多いのではないだろうか。
セイ法則を基軸にしてリカードからケインズまでのマクロ経済学の流れを概説している。実に短いページ数によくもまあ簡潔に人物をまとめられるものだ。マックス・ウェーバーのところなどはびっくり脱帽である。森嶋はマルクスやケインズを高く評価する。それは吉本隆明のようにひいきのひきだおしと情熱で敵対者を罵倒してなすのではない。限定された条件下での、例えば産業革命時のイギリスとか、第一次世界大戦後のアメリカやヨーロッパといった条件下でのマルクスやケインズの理論の評価と、彼ら自身が他の条件ではそれが成立していないことを自覚していた点を評価しているのだ。マルクスとマルクス経済学者の違いが際立ってよく理解できる。
ケインズがドイツに賠償を求めなかったときの勇気も森嶋は高く評価する(森嶋も大変に誇り高い人物だった)。周りが全て敵だらけでも、ドイツの賠償金を低く抑えようとケインズは迎合しない。それが未来におけるケインズの評価を不動のものにしたのである(一部分は)。「ケインズの正義感は、不当な集団リンチを許さなかった」のである。
さて、不当な集団リンチを毎日のようにやっている我々の社会である。ケインズの態度(ケインズの学問だけではなく)から学ぶところは実に多いのではないだろうか。
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