小沢一郎という人に僕は会ったことがない(新幹線で「見た」ことはあるが)。会えば実にいい人だった、とか政治家として高い志を持っている、とか好意的な意見も多い。
まあ本人がどのような人物であるかは分からないが、少なくともチーム・プレイヤーとしては最低の人物である。そして僕にはチーム・プレイヤーとして最低の人物が同時に政治家として有効に機能できるという理論的な(あるいは実際的な)根拠を思いつかないし、社会人としても、そうである。
チーム・プレイヤーとは、チームの一員としてチームのパフォーマンスを最適に持っていこうという最大限の努力と工夫をする人物のことである。これは音楽でもスポーツでも何でも同じである。
サッカー選手が、「あの右サイドバックはイヤなやつだから、試合に出さないで欲しいな」と監督に直訴したり、「あのフォワードは嫌いだからパスなんて出してやるもんか」なんて判断をしたとき、彼はチーム・プレイヤーとは呼べない。いくら個人の技量が高くても、このような人物がチームを(メンタルな意味でもアウトカムの意味でも)良いパフォーマンスに導く可能性は限りなく小さい。チームとは、このような個人の思惑を「大人の度量」で飲み込んで、フォア・ザ・チームに徹したメンバーから構成されるとき、うまく機能する。
13日の読売新聞(ウェブ)によると、小沢氏は公の場で「管首相はひどい。もう長くは持たないだろう。政局になるぞ」と述べたという。
小沢一郎は民主党の代表選に出て敗れた人物である。通常、党内代表選を終えた場合、その規定に従って、また紳士としてのマナーに則り、敗者はこれまでの舌戦を水に流し、フォア・ザ・チームに徹し、チームのために尽くすのが常識である。アメリカでもオバマとクリントンが壮絶な予備選挙を戦ったが、戦い終わってクリントンは国務長官としてオバマ大統領のためにベストを尽くす。大人として当然の行為である。
この「大人の行為」が小沢氏にはできない。代表選の勝者である管首相を口汚くののしり、脚を引っ張り、チームをかき回すのである。彼はこれまでにも同じことをあちこちの政党で繰り返している。
もちろん、小沢一郎は政治家であるから、内的なインタレスト(民主党の利益)よりも外的なインタレストである国益をより重んじ、あえて苦言を呈していると主張もできよう。しかし、政策よりも政局ばかりが報道される昨今(報道するほうも悪いのだが)、外的なインタレストは満たされるどころかどんどん凋落する一方である。この言い訳は成り立たない。
代表選に出馬し、そして敗北した人物がこのように勝者を罵るのは非常に見苦しい。それに、そのことは「俺にののしられるようなダメな人物に敗けたのは俺」という天にツバする行為であることに気がつかないのだろうか。
政局に長けている、パワーポリティクスを熟知しているということで、小沢氏には「老かいな政治家」という定型的なイメージがつきまとう。しかし、チームの構造という観点からこのような定型的なクリシェを取り除いてみると、実はその行動原則は「小児的」であるとしかいいようがない。このように僕は思う。
日本の大人、今の50代、60代にはこのような「子ども」が多くなっているのでは、というのが僕の仮説である。
そうそう、成人の日の各新聞社説ではこれまた定型的に「日本の若者は内向きになっている」と年寄の繰り言が連鎖した。新聞社説で言われたくらいで、「じゃ、外国に行って一旗あげよう」と一念発起するような単純な若者の方がどうかしていると思うが。
少なくとも医学の狭い領域の話であるが、僕の先輩たちが海外留学したときは全然「外向き」ではなかった。医局人事で定型的な海外留学経験。向こうではまじめで文句を言わずに働く日本人医師を重宝して活用してくれるwin winの関係。数年経てば日本に戻ってくる(場合によってはプロモートされる)お定まりの結末。これのどこが「外向き」というのだろう。世界を舞台に挑戦しようと背水の陣で海外に旅立っていった人は僕の同級生や先輩ではきわめてレアである。むしろ、そういう世代は僕らより年少の「海外旅行に慣れている」世代の方が多い。
外向きに挑戦する、というのであれば日本の新聞もニューヨークタイムズやルモンドみたいなクオリティーペーパーを目指し、「質を落として部数稼ぎ」をするのを止めたらよいと思うが。チャレンジャー精神を遺憾なく発揮して。チャレンジしたこともない大人や、今チャレンジする勇気を持たない大人にも、あれこれ言う資格はない。
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