メディア・パッシングは別に新しいアイディアではない。
例えば、村上春樹も日本のメディアの取材をほとんど受けないことで有名だ。その理由については以下に詳しい。ちなみに、村上春樹も新聞やテレビをほとんど使わないこともここに語られている。もちろん、そのことで村上春樹が社会から取り残されることはない。むしろ社会に先んじて新しい。彼の本が「今の」読者を魅了していること、日本だけでなく、外国の読者も魅了していること、すでに過去何十年も魅了し続けていること、おそらくあと何十年経っても魅了し続けるであろうことからも、それは明らかである。
夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです村上春樹/文藝春秋 |
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僕自身、今年は新聞、雑誌などの取材は原則お断りしている。去年もお断りしたかったのだが、様々な事情でそうもいかなかった。会議の後で「コメント」を求められることもあるが、急いでいるのでと失礼させていただくのが常だ。Hibワクチン関係などで、取材者の目的が明確な場合のみ、セレクティブに例外的に お受けすることはあるが。ラジオの依頼はお受けすることが比較的多いが、テレビは基本的にお断りしている。ドクターGはいろろな都合故の例外中の例外で、本当はお断りしたかった。
この問題は結構世界的な問題で、IDSAでも「How to talk to media」というワークショップがあった。時間が合わなかったので参加できなかったが、後で録音されたものを興味深く聴いた。アメリカのマスメディアも不景気やらなにやらで質の劣化が激しいらしい。その一方でIDSAもCDCも専門のコミュニケーション部門をもっていて、情報発信の方法を洗練させている。劣化しているといってもさすがに向こうの新聞記者はScienceやNEJMとかの論文はきちんとよむから、記者に電話して提灯記事を依頼する必要はない。もはやマスメディアを招いて情報発信するという古典的な(そしてややこっけいな「○大のなんとか教授の発表がサイエンスに載る予定」、、、的な)方法は取る必要がない。
繰り返すが、問題はメディアが「間違える」ことにはない。間違いには修正を求めれば良いだけだ。不理解なら対話を求めれば良いだけだ。それがかなわないときは、「残念ながら話がかみ合いませんね」と丁重に取材をお断りする。そして本当に信頼できるジャーナリストとだけ、時間をかけて丁寧に対話をする。
残念ながらそのようなことができるジャーナリストは日本のラージ・メディアでは希有になっている。またそのような、希有な信頼できるラージ・メディアのジャーナリストも、コンテンツの生殺与奪は信頼に値しない、目に見えない机の上の上司に握られている。これは構造的な問題なのである。茂木健一郎氏が提案するように記者のコピーライツを高め、構造改革を行わない限り、ラージ・メディアに明るい未来はない。
池田信夫氏も指摘しているが、日本のラージメディアが消えて亡くなるということはないだろう。ただただ、衰弱していき、没落はしていくが。今後も新聞を読まない人、テレビを観ない人は増えていく。テレビの視聴時間は変わっていないように見えるが、ずっとテレビばかり観ているのは実は高齢者である。新聞を読むのも高齢者。つまりは時間の問題である。
もともと日本人のテレビ依存は強かったので、視聴時間が減っているのは好ましいことだと僕は思う。新聞を読まないと世界からおいて行かれるということもない。イギリス人もフランス人も、アメリカ人も、日本人ほど新聞なんて読んでいないのである。もっと読むべき大切なものはたくさんある。
余裕の無い状況に陥った患者さんやご家族は、メディア・リテラシーがうまくいかなくなることがありそうです。
例えばアトピービジネスにはまってしまうとか、かつての脱ステロイドブームのようなことです。
このような場合、いったん広まってしまった風評をネットの力のみで打ち消せるものなのか?テレビや新聞の力も借りなければならないのではないか?と今は考えています。
まあこれまでそういう風評の片棒を担いでいたのは、テレビや新聞のような気もしますが…。
あとは発信する医療者側の説得力、信頼してもらえる努力や工夫が必要なのでしょうね。
投稿情報: Zaccoplatypus | 2010/12/06 16:28