たまたま偶然、文化の日に千駄ヶ谷の近くにいて、たまたま偶然国立でナビスコカップの決勝をやっていたので立見で見た。入場料もドタキャンの人に半額で譲ってもらってラッキー。試合は非常に面白い好ゲームで、磐田が広島に勝利した。
日本シリーズも面白かった。最終戦は最後まで見なかったけど。ロッテの日本一をよしとしない人は多いだろうが、すくなくとも日本シリーズは面白かった。
スポーツライターの杉山茂樹は、地方スポーツチームの視聴率が低いことを難じている。レベルが明らかに低い早慶戦の方が日本シリーズより視聴率が高いのはおかしい、というわけだ。同じようなニュースは、他にも見た。
http://blog.livedoor.jp/sugicc402/archives/3085375.html
僕は、そもそも視聴率で価値判断をするというその思考方法そのものからそろそろ脱出すべきだと思う(もっとも、杉山氏の野球VSサッカーという対立図式は脱するべきという見解には大賛成)。
国立競技場は地元のファンであふれかえり、とても素晴らしい雰囲気だった。磐田市も広島市もサッカーファンは幸せな気持ちだろう。このようなナビスコカップの決勝を浦和やガンバのファンが喜んで見るだろうか。ニュートラルなサッカーファンでなければ見ないだろうし、彼らがニュートラルである必要は全然ない。サッカーファンでなければなおさらだ。これはヨーロッパでも同じで、自分がサポートするチーム以外は(ときにナショナルチームですら)興味を持たない。これが成熟したファンのあり方だと思う。
日本シリーズは要するに、名古屋と千葉が盛り上がればよいのだ。「視聴率を上げねばならない」という呪いにかかってしまうと、「阪神か巨人が勝たねば」という奇妙な強迫観念が生じてしまう。早慶戦はミーハーな、「古典的なテレビの視聴者たち」が見たのである。それはそれでかまわないので、鷹揚にかまえていればよいので、プロ野球ファンが危機感を持つ必要は全くない。
スタンダールが「赤と黒」を書いたとき、
To the happy few
と書いたと内田樹さんの本で知った。彼はコンテンポラリーの大衆に自分の本が理解される必要はないと考え、わずかな幸せな読者に自書が贈られればそれでよいと考えた。
僕もそう思う。広島、磐田、千葉、名古屋のチームが全国規模の人気を得る必要などどこにもない。そのようなビジネスモデルではないモデルを探せば良いだけだ。
池田信夫は、高度成長の復活に都市への人口集中が必要だと解説する。
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51497486.html
しかし、そもそも高度成長というシナリオそのものが必要な未来のシナリオなのか、僕らはクールな頭で考え直す必要がある。それを必要ないと考えれば、都市に集中する必然性もなくなる。
地方都市はどこにいっても小さな東京のようだと観光客は難じる。しかし、そのおかげで地方の人たちは昔に比べてずっと便利な生活を「東京にいずして」享受できている。コンビニがあり、本屋があり、ツタヤがあり、ファーストフードの店がある。ケーブルテレビのおかげで「島根ではニュースステーションが見られない」みたいなかつてあった格差も解消している。旅行者には悪いけれど、ぼくは地方に住む人がそこで快適な生活を送ることができるのが優先されるべきだと思う。地元の地元たる所以は、どうせ観光客の容易に目にするところにはない。
都市か、地方か、という選択をとるのではなく、「どちらに住んでも楽しく生きていける」という選択肢の存在が僕らを豊かにし、成長させる。高度成長の時代は選択肢のない時代だったのである。それだけ未熟で、視野の狭い(全力で走っているときは視野はどうしても狭くなるから)時代だったのだ。我々は右肩上がりの成長戦略をとらなく(とれなく)なることを、そうまで嘆く必要はない。
僕もそう思う。広島、磐田、千葉、名古屋のチームが全国規模の人気を
得る必要などどこにもない。そのようなビジネスモデルではないモデル
を探せば良いだけだ。
だからといって日本一を決める大会が一地方の関心だけで支えられてよいということにもならないのではありますまいか。
投稿情報: ロッテ優勝おめでとう | 2010/11/09 18:55