ほとんどその他すべてにおいてもそうだが、僕は「例外なくすべてのシチュエーションにおいて絶対に」そうでなければならない、という主張を慎重に排除している。およそ臨床屋である限り、例外のない事象はほぼ皆無である。Never say neverといわれる所以である。
したがって、ここでも「何でもかんでも」匿名がけしからん、と申し上げているのではない。「集中」という雑誌の小論を署名なしで書くのはよくない、と申し上げている。
読めば分かるが、本誌はかなり直截な物言いをする雑誌である。そこが魅力ではあるが、逆にかなり「個人非難、個人批判」と読める書き方をしている。厚労省のなにがしは会議で昼寝ばかりしている、とかゴルフバッグをもってよいしょしながら出世したとか、「ほんまかいな?」と疑問詞をつけるべき記載が多い。
そのような直截な物言いが許容されるほぼ唯一の担保は実名で記事を書くことである。そうでなければ、このような内容はほとんど便所の落書きと区別がつかないではないか。本名をあげて官僚なにがしを非難するのであれば、自らも本名をあげて、「俺の魂書けて書いた記事だ、文句あるか」と言えばよいのである。それがいやならば、「厚労省の某氏は昼寝ばかりして、、、」とむにゃむにゃした記事にして、多少の魅力を減じてもリスクヘッジをするよりほかない。大人の仕事だ。他人を実名で非難するならば、それなりの覚悟を決めるべきだ。自分だけリスク回避するってのはないと思うな。
ついでに言うと、「匿名の排除」が硬直した社会をうむ、あるいは匿名性の担保が硬直化を防ぐ、という根拠が僕には理解できない。多くの硬直化に導く緒論は匿名からきている。コンプライアンスだのなんだので各部門の規則規制が増え、組織が硬直化していくきっかけはたいてい、匿名の内部告発、たれ込みが端緒になる。匿名化の担保は社会の硬直化を防ぐ手立てにはならない。むしろ、匿名性を強要するそのバックグラウンドのシステムとか雰囲気とか、そういうもののほうに問題があるのではないか。
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