ワールドカップの準決勝でドイツがスペインに負けたとき、「ドイツが引きすぎていた。もっと積極的に攻めれば良かった」と難じたサッカー評論家は多い。
おかしな話だ。
当時、バルセロナ・スペインのようなパスサッカーに対抗する最良のレメディーは「引いて守ること」と言われていた。それが有効だったのをインテルのモウリーニョが示し、スイスが成功したからだ。実際、バルセロナ・スペインにガチンコの喧嘩を売ったチームはたいていボコボコにやられている。2009年のCL決勝のマンチェスター・ユナイテッドがその失敗を犯して痛い目に遭っている。
しかし、ドイツが負けた、という「結果」だけをみてその戦術を否定するのは、「じゃ、いままでのは何だったんだ」という話になろう。事実、もし「評論家」があの試合の監督になっていたとしたら、ほとんどの人はレーブと同じ戦術をとったはずだ。
過去から現在を説明するとはそういうことだ。過去の模倣でもって現況を打開しようと思えば、過去の成功例を模倣するよりほかない。それをしないというのであれば相当の冒険が必要になる。それがパラダイムシフトである。しかし、パラダイムシフトをメディアが強いるというのは非常に奇妙な話である。なぜならば、日本のメディアが過去のパターンの踏襲という型から抜け出したことは一度としてないからだ。日本のメディアにはパラダイムシフトは起こせない。テレビや新聞がつまらないのも、そのせいである。
ポッドキャストで「もし高校野球の女子マネージャーがドラッガーの「マネジメント」を読んだら」を執筆した岩崎夏海さんの話を聞いた。非常に面白かった。彼はもともとテレビの放送作家をやっていたのだが、「未来にはこういう話が面白くなる」という世界観で番組を作ろうとして、上層部に否定されたので執筆者に転じた。テレビ界は「今成功していることを模倣すること」がすべての世界観だからである。そして高校野球のマネジャーが勘違いでドラッガーのマネジメントを語る、という奇妙な物語を作り、アニメ的なキャラを表紙に載せて本を書いた「過去の価値観、世界観」からすると邪道な本の作り方で、過去の世界観に引きずられている人にとってはひどい本ということになる。しかし、未来の世界観で本を作った岩崎氏の本はベストセラーになった。(もっとも、AKBなんとかとか、高校野球とかにまったく興味のない僕もこの本を「低く」とらえていたこと、その憶見があったことは反省して認めます)
僕も本を作るときは、表紙をものすごく気にする。医学書らしい表紙が退屈で嫌いなのである。しかし、それが理由で編集者に「医学書らしくない」といやがられることもある。これは、世界の見方を「過去に向かって」見ているか、「未来に向かって」見ているかの違いなのである。
未来に向けた視線は過去の否定とは違う。むしろ、未来に向かって視線を馳せているからこそ、過去の文化を大切に咀嚼する。能、文楽、落語、歌舞伎、古典小説を大事にする。そして、それらの作者が現代に生きていたら、どのような生き方をするかを考える。いま、ジジェクの「ポストモダンの共産主義」を面白く読んでいるが、マルクスがこういった、ではなく、マルクスが現代を見ていたらどういうだろう、という想像力が大事になってくるのだ。
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